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◆会報第64号より-03 伏見港

シリーズ「川の旅日記」・・・③

伏見港 旅日記

野間口 秀國 (会員)


 会報63号にて大阪・天満橋の八軒家浜から枚方までの旅日記を書かせていただきましたが、枚方以遠は運航に必要な水深確保が容易では無いためでしょうか、現在舟運はございません。そこで今回は、梅雨の合間、6月末の晴れた日曜日に、京都の玄関口で旅の最終地となる伏見港で十石舟の舟旅を楽しみました。京阪電車を中書島駅で下車。京都方面行き改札口を出て右手の商店街を少し進むと「十石舟乗り場」の案内標識があります。指示に従い右折し、歩を進めてほどなく左手に長建寺(ちょうけんじ)の山門が見えると宇治川派流(うじがわはりゅう)に至り、流れに架かる弁天橋を渡り川岸に下ったところが乗り場です。所要時間は折返し地点での見学を含めて約55分とちょうど良い長さでした。

 ところで、伏見港を語るには時の天下人・豊臣秀吉によって建てられた伏見城を外すことはできません。舟旅に先立つこと約1週間前の6月20日に「伏見城跡{指月城(しげつじょう)}発掘調査現地説明会」が行われたので出向きました。1592(天正20)年に秀吉によって隠居屋敷の建設を始め、間もなく屋敷は指月城にと姿を変えます。しかしこの城は1596(文禄5)年の伏見地震にて倒壊しました。このたび発掘された石垣や堀はその指月城のものと推定されています。倒壊の直後には再建が命じられ、現在の明治天皇陵を含む木幡の山上に、後に伏見城と呼ばれる壮大な城が造られました(*1)。

 十石舟は出航5分前には乗船を開始し、即時満席となりました。乗った舟の名は「秀吉号」。舟の底は平らで安定性はあまり良くありません。そこで船長さんは舟の傾き加減を見ながら、一部の客の席を移動させ舟の安定を十分に確保してから発進させます。進み始めると間もなく、右手に見えるのが明治39年に建てられ、新京都百景の第1号に指定された大手酒造会社の建物群です。

◆会報第64号より-03 伏見港_f0300125_1434232.jpg 波静かな川面を進む舟が大きく左折すると、右手上方に明治維新の立役者の坂本龍馬が身を寄せた船宿の寺田屋が見えます。さらに進むと左手には龍馬とお龍さんのブロンズ像があります。寺田屋騒動で傷を負って薩摩屋敷にかくまわれた龍馬は、慶応2年の春にお龍さんを伴い、後に日本で最初の新婚旅行と言われている鹿児島への旅をしています。3月17日から3日間、塩浸(しおひたり)温泉で傷をいやし、29日には高千穂の峰に登り、4月1日には再び同温泉を訪れて1週間を過ごしたようです。ブロンズ像を後にして舟が進むと、右手より疎水から運ばれる豊富な水量をたたえた濠川の流れが合流します。この濠川は、かつて豊臣秀吉が掘らせた伏見城の外堀であったとの説明がありました。前述の現地説明会の資料に収められた周辺遺跡地図でもそのことが伺えるようです。

 城下町であった様子は今に残る伏見の町名によく表れています。ほどなく舟がその下を進む肥後橋近くには、かつて加藤清正の屋敷があったと言われており、他にも当時の国名や領主名、また町の役割(塩屋町、風呂屋町、両替町など)を冠した複数の町名が確認できます。伏見は城下町であるとともに物流拠点でもありました。大坂から上って来る多くの船が、伏見で米を始めとするあらゆる物資を荷揚げし、積み出してゆきました。その荷揚げ場(浜)は複数あり、現在でも北浜町、西浜町、南浜町、東浜南町など町名として残されています。

◆会報第64号より-03 伏見港_f0300125_14405331.jpg 時代は下り、八幡の三川合流地点に背割提が造られた頃と時を前後して、この伏見・三栖(みす)の地に閘門(こうもん)と洗堰(あらいぜき)が建設されました。大正時代に行われた淀川の改修工事や宇治川右岸の築堤工事によって宇治川と濠川とに流域面の高度差が生じ、船の通行が出来なくなったことを解消する目的でこの三栖(みす)閘門が建設されたのです。これらの施設は船の通行に留まらず治水施設としても大きな役目を果たしたのです。2010年に土木學會選奨土木遺産に選ばれたこの施設(*2)は、閘門の役目は終えていますが今も堤防として重要な役目を果たしているのです。舟は閘門の中の桟橋に着けられ、乗客は舟を降り資料館の見学へと向かいました。資料館では係員の方から閘門の歴史や働きの説明をしていただけます。ジオラマ(*3)による展示では、まさに実際に閘門を通過しているかのごとく模型の船で再現されるのを見ることができ、閘門の働きがとても良く理解できました。資料館を出て閘門の上から宇治川の流れに目を向け、そして振り返って今来た濠川を見ると、改めて伏見港の果たした役割が実感できるのでした。

 三栖閘門の周辺は「伏見港公園・伏見みなと広場」として整備されており、親水性の考慮された広々とした空間です。伏見の町の歴史に触れ、港や船や閘門について学んだあとにも楽しみが待っていました。それは伏見の誇る美味しい日本酒や地ビール、(たしなまれない人たちには)酒饅頭です。是非、車を降りての訪問をお勧めして伏見港・旅日記を閉じたいと思います。

 【参考資料】
(*1)「伏見城跡{指月城(しげつじょう)}発掘調査現地説明会」にて配布の説明資料。
(*2)三栖閘門の本体に取り付けられた表示記載内容による。
(*3)展示物とその周辺環境・背景を立体的に表現する方法(資料館の展示は船が動く)。
 その他は中書島駅で入手した「散策マップ」、「十石舟・三十石船の旅」のパンフレット、舟および資料館のガイドさんの説明などによる。


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by y-rekitan | 2015-07-28 10:00
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