土井 三郎 (会員) 田中 冬もかる鎌か田中の三日の月 ![]() 上の句は、「田中」が地名の田中町であるとともに、「田の中」を掛け、水(氷)の張った冬の田面(たおも)に映る三日月を稲刈りの鎌としてとらえているというものです。鎌のごとき三日月はいかにもさえざえとしていて、これを実景としてとらえるならば、田中町は、今でこそ町屋の連なるところですが、昭乗の生きた時代は、周辺が田んぼであったことを示していることになります。 地名の「田中」は、石清水八幡宮の祠官である田中家の住居がその地にあったからで、田中殿(たなかでん)は、正平7年(1352)に勃発した八幡合戦の時に、賀名生(あのう)から京都を目指してやってきた後村上天皇一行が、そこを行宮(あんぐう、仮住まい)にしたことで知られています。 紺座 霜ふりのかうの座寒き夕(ゆうべ)かな ここで「霜降り」は「霜のふりかかったような、細かく白い斑点のある模様」ととらえ、「かうの座」を「高座」ととらえ、主賓や身分の高い人、または年輩者などがすわる席と解し、霜の降る高座ではさぞ寒かろうと洒落たもののようです。 常盤木枯のもちかむせぬは常盤かなこの句も意味がとりにくいものの一つです。 「もちかむ」とは何か。「餅を噛む」? それでは意味をなしません。「も」が「もう」の意味をもつ副詞ととらえる用例が、室町時代の末期から近世初頭に見られるとのことです。そうすると、「木枯らしがもう近づいたとはいえない常磐かな」となり、この場合の常盤は「常葉」=常緑樹と解釈することが自然のようです。句の趣向としては、「木枯らしが吹く季節になっても、落葉したり枯葉が舞ったりしないよ。常葉なのだから」となります。或は、「木枯らし」を文字通り、木が枯れるととらえると、「木が枯れることがもう近いと言うことはない。ここは、常葉(ときわ、常緑樹)の地なのだから」と、単に言葉遊びを楽しむ句であると解せます。 『京都府の地名』八幡市編は、弘安11年(1288)の史料に、常磐町口に「八幡惣門」があったと記すものがあることを紹介しています。神領である八幡の北の門が「八幡惣門」とすれば、その門=戸の際(きわ)にある町だから「戸際(ときわ)」町という解釈がなりたちます。ちなみに、「八幡惣門」の位置は、現在の木津川の向こう岸(京都市伏見区)に比定されます(『山上山下のまち、八幡』堀内明博著)。 明治初年の木津川の付替によって、八幡は木津川によって北の一部が分断されてしまったのです。 ![]() 高橋 そりぬるはあら高橋の狩場哉(かな) 「高橋」は、現在の太鼓橋=安居橋より50mほど下流にかかっていた橋で、「反橋(そりばし)」と呼ばれることがありました。そりぬる、つまり反っているのは高橋ならぬ「荒鷹(あらたか)」の嘴(はし、くちばし)で、同時に、高橋の上なので、見晴がよく、狩場としては申し分がないと洒落ているのです。 今は定かではありませんが、当時は、男山(鳩が峰)に鳩ならぬ鷹が生息していたのかもしれません。 右の図は、左が高橋(そりはし)、右が全昌寺橋。ちなみに放生会の際、高橋のたもと放生亭より魚が放生川に放出されていました。
by y-rekitan
| 2015-09-28 08:00
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