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◆会報第71号より-03 八幡大縁起

「八幡大縁起」に参加して

織田 俊一 (会員)


 今年 1月31日、八幡市文化センターに於 いて「八幡大縁起」の世界初演が催行されました。
 平将門・源純友の乱平定直後の天慶8(945)年7月末、八幡神の一異相・志多羅(しだら)神を載せた数基の神輿が、熱狂する無数の民衆によって石清水八幡宮に担ぎ込まれました。その時の解き放たれた民衆の目覚めと神への帰依を清らかな憧憬と深い共感もって「いにしえ」と今を結ぶ、借り物ではない私達の「新たなる生命賛歌」として作りあげたと作曲家の平野一郎氏は語っておられます。
 平野氏は各地に伝わる祭礼を取材し、古文書に眠る失われた歌を蘇らせて、この作品の中で響かせようと試みられたとのことです。そこには、苦難を乗り越える逞しい民の息吹と大いなるものへの祈りの心が溢れています。いにしえと今を結ぶ、私達の風土が宿した新たなる生命賛歌、その誕生の瞬間に是非お立ち会いください、と呼びかけます。そして更に「この八幡大縁起は本番で完成する」と予言しています。
 私は混声合唱団の一員として八月から半年間、練習に参加してきました。今までいくつかの合唱曲を経験してきたつもりでありましたが、西洋音楽にない日本古来のリズムと和声を取り入れたこの曲の練習は困難を極めました。しかしその曲想はなつかしい日本の響きに満ちており、歌う私たちを捕らえて放さない魅力に溢れていました。
 曲の構成は四人の独唱、混声合唱とオーケストラという、ベートーベンやマーラーの大曲に匹敵する大規模な作りになっており実際にこの日ステージに上がったのはオーケストラ90名、混声合唱132名、ソリスト4名の総勢226名でした。
 曲が完成するという予感も保障もないまま、合唱団の皆さんはただひたすら「成功するはず」という一筋の希望もって練習を続けたように思います。今から思えばそれは平野氏の「呪文」であったように思われます。◆会報第71号より-03 八幡大縁起_f0300125_9104761.jpg
 そして当日、我々の合唱団とオーケストラ、四人のソリストが藏野氏の指揮の下、一つに
なるという奇跡を体験することになるのです。その時、我々は確かに民衆となって石清水に向かっていました。
 演奏が終わり、一週間になりますがまだその余韻は続いています。いったいあの経験は何だったのか。曲の持つパワーなのか。我々の心の中に潜む煮えたぎるような民族の叫びなのか。
 折れそうになる気持ちをしっかり受け止めて全体をまとめていただいた指揮者の藏野氏。すばらしい声で我々を導いてくれたソリストの皆さん。そしてピアニストやボディパーカッションの皆さん。合唱指導の先生方。すばらしい方々とこのような希有の経験ができ、「八幡大縁起」の誕生に立ち会えたことを誇りに思っています。

参考 志多羅の神
 平安時代、疫病流行の時、九州から上洛し民衆の信仰をうけた御霊神(ごりょうしん)。八幡と同系か、あるいは八幡の眷属神(けんぞくしん)。八面の仮面をつけ、小さな藺笠(いがさ)を冠っていたという。楽所を設け、手を打ち、鼓などを打ち鳴らしてまつったという。[本朝世紀‐天慶八年(945)七月二八日]
  
  
by y-rekitan | 2016-02-28 10:00
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