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◆会報第72号より-01 正法寺


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心に引き継ぐ風景・・・③
八幡の近世を開く志水家・正法寺
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 志水家の「お亀」は文禄3年(1594)、徳川家康の側室となり、近世の八幡を切り開く大きな足跡を残しました。
 慶長5年(1600)5月、徳川家康は石清水八幡宮を中心とする八幡に361通の「領地朱印状」を発給し、徳川政権構想に取込みました。この年、豊臣政権になって中断していた「安居神事のまつり」が復活し、「安居の頭役」を志水家が担って、武運長久と天下泰平を祈願しています。関ヶ原直前の7月、豊臣奉行衆による家康弾劾状「内府ちがひの条々」の最後には「内縁の馳走を以、八幡之検地被免候事」とあり、お亀の出身地、八幡の「検地免除」を非難しましたが、実際に翌年からは御朱印にそって検地が免除され、それを喜ぶお亀の手紙が残ります。これ以後、八幡は「検地免除」・「守護不入」の地として近世自治組織の体制が整いました。
 お亀の父、志水宗清は上杉征伐に参陣し、兄の志水忠宗はお亀の子である尾張藩祖、徳川義直卿に従い大坂夏の陣に従軍、その後も代々家老として藩政を支えました。志水家の菩提寺として隆盛を極めた「正法寺」は当時の姿を残し、「志水町」、「志水大道」に「志水家」の名残を留めます。 
(写真と文 谷村 勉)空白


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by y-rekitan | 2016-03-28 12:00
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