◆会報第79号より-07 三宅碑⑧

《続》 2016年1月度の講演会より

『三宅安兵衛遺志』碑と八幡の歴史創出
その8

―松花堂・東高野街道・天皇聖蹟・綴喜郡―

中村 武生  (京都女子大学非常勤講師)



西村芳次郎による史蹟空間の創出と文化財保護

 三宅清治郎の建碑意図についてはすでに論じましたので、つぎは西村芳次郎のそれを論じます。西村には清治郎とは明らかに異なるいくつかの独特な建碑方針がありました。西村の多数の建碑は、これまでの三宅碑の特徴にどんな性格を加味したのでしょうか。以下「日記」や西村の著作、建立碑銘などによって考察を進めます。

(一)芳次郎主導の三宅碑建立地の地理的範囲

 まず西村芳次郎選択による三宅碑が、どの程度の地理的範囲に建設されたのか、おおよそ特定しておきたいと思います。
「日記」によれば、1926年(大正15)秋から翌年(昭和2)春にかけてまとまった建碑依頼を3度しています。すなわち1926年10月23日に20ヵ所、1927年3月12日に40余ヵ所、同年4月3日に68ヶ所、あわせて約130ヵ所です。いずれも「同地ニ」「同地附近ニ」などと記されているため、八幡町やその付近に建てられたことが分かります。
 前述したように、芳次郎には八幡とその周辺の史蹟名勝についていくつかの著作があります。その大半は三宅碑建立の1921年から1929年のさなかか、その直後に書かれたため、碑の建立地選択と密接な関係があると考えられます。とりわけ「八幡史蹟名勝記(誌)」「南山史蹟名勝誌」『昭和三年八幡史蹟名勝誌』(前述)は注目すべきです。このうちまとまっている『昭和三年八幡史蹟名勝誌』の項目を列挙したのが表1です。これを表2と比較してみよう。すると酷似した項目の大変多いことに気づかれます。実に132に及びます。これまでの考察から、一致するものは芳次郎の建てた三宅碑と判断してよいと思います。

表1 『昭和三年八幡史蹟名勝誌』項目一覧
1.石清水八幡宮
2.神宮寺跡
3.引窓南旧跡
4.常昌院
5.航海安全記念塔
6.神応寺
7.鳩ヶ峯国分寺跡
8.天皇潔水
9.豊蔵坊跡
10.泉坊松花堂跡
11.滝本坊跡
12.萩坊跡
13.大西坊跡
14.護国寺薬師堂跡
15.財恩寺跡
16.高橋陣所跡
17.反橋跡放生川
18.安居橋
19.淀屋辰五郎旧邸
20.単伝庵
21.戊辰役史蹟念仏寺
22.大河内秀元墓正福寺
23.国宝薬師像薬薗寺
24.源頼朝公手植ノ枩
25.山ノ井戸
26.松花堂旧跡泰勝寺
27.城之内古跡
28.日門上人塔本妙寺
29.園殿口戦場跡
30.法園寺
31.小野頼風塚
32.金剛律寺故址
33.善法律寺
34.巡検道
35.寝物語国分橋
36.巣林菴
37.忍澂寺昌玉菴
38.興聖谷不動寺
41.正法寺
39.新善法律寺
40.九品寺42.弘仁時代一里塚
43.正平役馬塚跡
44.八角院
45.元三大師堂
46.西車塚
47.女郎花塚
48.月の岡邸
49.泉之坊書院
50.松花堂茶席
51.車寄門
52.東車塚
53.血洗池跡
54.男塚
55.一宮入道塚
56.岡の稲荷之社
57.所天橋
58.佐羅志戦場跡
59.清水合戦跡
60.御幸谷古跡
61.蛇塚古墳
62.蛭塚古墳
63.宇智王子故址
64.岩田社
65.荒阪古戦場跡
66.荒坂横穴古墳
67.松井横穴古墳
68.古寺跡
69.美濃山古墳
70.美濃山横穴古墳
71.王塚古墳跡
72.小塚古墳跡
73.東二子塚古墳跡
74.西二子塚古墳跡
75.筒井順慶陣所跡
76.洞ヶ峠古墳
81.中ノ山古墳跡
77.円福禅寺
78.水月菴
79.太古山古墳
80.涙川旧跡
82.紅葉寺宝青菴
83.万称寺跡
84.正平塚
85.吾妻与五郎墓
86.大芝古墳跡
87.初陣山古墳
88.石城古墳
89.茶臼山古墳
90.樟葉宮
91.和気清麿公旧跡足立寺
92.豊蔵坊信海墓
93.浄瑠璃姫墓
94.長柄人柱地蔵尊講田寺
95.南岩倉跡
96.如法経塚跡
97.塩竃古跡
98.湯沢山茶久蓮寺跡
99.元橋本寺西遊寺
100.八幡橋道標
101.川口渡舟場
102.下奈良浜渡舟場
103.経塚
104.獅子塚
105.岩田渡舟場
106.八幡宮近道標
107.善法寺旧邸
108.東在所道標
109.小野篁作閻魔十王像
110.樟葉橋本近道標
111.水月菴道標
112.神器保安所岡の森稲荷道標


表2 『木の下蔭』所載「建碑個所」一覧
番号は便宜上筆者が付した。なお原則正字は略字に改め、字句の明瞭な誤りは正した。
1.東山名勝の碑
2.栂尾山高山寺の碑
3.西陣の碑
4.金福寺の碑
5.京都七名水の一中川の水の碑
6.嵯峨一帯の碑
7.左々への碑
8.東照宮の碑
9.南院国師塔所の碑
10.松永貞徳翁造庭雪の庭の碑
11.金地院墓所水道の碑
12.仏日山金福寺芭蕉菴の碑其の一
13.金福寺呉春の墓の碑其の二
14.同景文の墓の碑其の三
15.金福寺蕪村の句碑其の四
16.金福寺近道の碑其の五
17.桂宮院の碑
18.長沢蘆雪の碑
19.太秦西門の碑
20.関白豊臣秀次公の碑
21.円光寺の碑
22.豊臣秀次公墓所の石柵幷に碑其の二
23.殉死侍臣の碑其の三
24.局方の碑其の四
25.大悲閣の碑其の一
26.詩仙堂の碑其の一
27.同其の二
28.航海記念大石塔の碑
29.善法律寺の碑
30.水月庵の碑
31.国分寺址の碑
32.八角院の碑
33.滝本坊址の碑
34.涙川の碑
35.正平の役、高橋陣趾の碑
36.大西坊の路の碑
37.豊蔵坊の碑
38.大河内秀元墓碑
39.本妙寺の碑
40.九品寺の碑
41.西遊寺の碑
42.放生川反橋の碑
43.一の宮入道塚の碑
44.山科昆沙門堂の碑其の一
45.同其の二
46.松花堂の碑
47.正法寺の碑
48.円福寺の碑
49.同其の一
50.同其の二
51.泉坊、松花堂址の碑
52.神宮寺址の碑
53.引窓南邸の碑
54.護国寺薬師堂の碑
55.単伝庵の碑
56.薬園寺の碑
57.正平の役城の内古蹟の碑
58.水月菴の碑其の二
59.湯沢山茶久蓮寺の碑
60.万称寺山の碑
61.岡の稲荷社の碑
62.清三宝荒神護浄院の碑
63.神応寺の碑
64.小野頼風塚の碑
65.紅葉寺の碑
66.淀屋辰五郎居宅趾の碑
67.萩の坊址の碑
68.東車塚の碑
69.洞ヶ峠の碑
70.財恩寺の碑
71.源頼朝手植の松の碑
72.安居橋の碑
73.戊辰役史蹟念仏寺の碑
74.山の井戸の碑
75.忍徴寺昌玉菴の碑
76.薪の酬恩菴一休寺の碑
77.正平役園殿古戦場の碑
78.血洗池の碑
79.美濃山横穴の碑
80.東二子塚古墳址の碑
81.巣林庵の碑
82.正平塚の碑
83.同其の一
84.同其の二
85.男塚古墳の碑
86.佐羅志古戦場の碑
87.蛭塚古墳の碑
88.岩田社の碑
89.松井横穴の碑其の一
90.同其の二
91.万福寺址の碑
92.石城古墳の碑
93.和気清麿公旧蹟の碑
94.如法塚の碑
95.橋本分水道の碑
96.新善法寺旧跡の碑
97.中の山古墳の碑
98.西二子塚古墳址の碑
99.吾妻与五郎の墓の碑
100.御幸谷古蹟の碑
101.常昌院地蔵尊の碑
102.法園寺の碑
103.高野及奈良街道の碑
104.清水合戦址の碑
105.宇智王子邸址の碑
106.荒坂古戦場の碑
107.王塚古寺址の碑
108.筒井順慶陣所址の碑
109.大芝古寺の碑
110.茶臼山古墳の碑
111.浄瑠璃姫墓の碑
112.塩竃古跡の碑
113.京街道里程標の碑
114.正平俊馬塚古墳の
(ママ)
115.佐川田喜六昌俊の墓の碑
116.太古山古墳址の碑
117.豊蔵坊信海墓の碑
118.王塚の碑
119.円福寺分岐道の碑
120.弘仁時代一里塚の碑
121.所天橋の碑
122.蛇塚古墳の碑
123.福王寺の碑
124.荒坂横穴の碑
125.小塚古墳の碑
126.洞ヶ峠古墳の碑
127.初陣山古墳の碑
128.樟葉宮の碑
129.南岩倉の碑
130.橋本、樟葉の道の碑
131.八幡宮道の碑
132.寝物語国分橋の碑
133.佐川田墓道の碑
134.黙々寺旧址の碑
135.奈良街道巡検道の碑
136.善法寺旧蹟の碑
137.川口渡舟場の碑
138.小野篁公作十三像の碑
139.日本最初外国蚕飼育旧蹟の碑
140.近衛基道公墓の碑
141.水番遺蹟の碑
142.天王山城蹟の碑
143.祝園神社の碑
144.旧淀橋の碑
145.淀学校天皇御駐輦の碑
146.兆殿司及五条三位藤原俊成卿墓の碑
147.同其道の碑其の二
148.同同其の三
149.同同其の四
150.天武天皇御遺址の碑
151.岩本城址の碑
152.大応国師妙勝寺址の碑
153.金剛律寺故蹟の碑
154.経塚の碑
155.男山八幡宮近道の碑
156.大阪街道の碑
157.継体天皇皇居旧蹟の碑
158.蘭学の泰斗藤林普山先生の碑
159.仁徳天皇、皇后、磐之姫故蹟の碑
160.石舟神社の碑
161.安養寺の碑其の一
162.唐人雁木の旧蹟の碑
163.千両松の旧蹟の碑
164.ケーブルカー上石清水八幡宮の碑
165.淀街道の碑
166.青谷街道の碑
167.信楽街道の碑
168.双栗寺の碑
169.信西入道塚の碑
170.北嵯峨覚勝院の碑
171.常昌禅院の碑
172.獅子塚の碑
173.志水町の碑
174.南山城不動寺の碑
175.近衛基道公遺蹟の碑
176.水取司遺蹟の碑
177.仁徳天皇城旧蹟の碑
178.朱智神社の碑
179.淀大橋の碑
180.戊辰役古戦場の碑
181.松花堂遺蹟の碑
182.洞ヶ峠山上の碑
183.佐山大松寺の碑
184.佐山浄安寺の碑
185.御栗栖園の碑
186.施基皇子故址の碑
187.茶祖永谷翁の碑
188.宇治茶最初園の碑
189.禅定寺の碑
190.武野紹鷗大黒天の碑
191.祇王寺の碑
192.大覚寺道の碑其の一
193.高雄道の碑
194.日像上人の碑
195.道昌大僧正の碑
196.名古曾の滝址の碑
197.遍照寺の碑
198.神魂丘旧墳の碑
199.西方寺袋中上人墓の碑
200.能化院の碑
201.亀山離宮の碑
202.野々宮の碑
203.蓮華峰寺高雄道の碑
204.蟹満寺の碑
205.筒井浄妙塚の碑
206.医王堂址の碑
207.西行菴の碑
208.光琳翁宅址の碑
209.あだし野(仇野)の碑
210.熊谷山の碑
211.嵯峨離宮址の碑
212.車折神社道の碑
213.北嵯峨曲り角の碑
214.小倉山の碑
215.井手飯岡王古墳の碑
216.桜井令穿七井戸の碑其の一
217.同其の二
218.同其の三
219.同其の四
220.同其の五
221.同其の六
222.同其の七
223.和岐座天乃夫岐売神社の碑
224.猿丸太夫故址の碑
225.綜芸種智院の碑
226.三十三間堂の碑
227.御室、北野道の碑
228.嵯峨天皇仙洞址の碑
229.亀山公園道の碑
230.角の倉の碑
231.直指菴の碑
232.歌仙洞の碑
233.朱大王古墳の碑
234.穴山梅雪翁墓の碑
235.日野薬師の碑
236.普賢寺の碑
237.厭離庵の碑
238.嵯峨天皇、宇多天皇陵の碑
239.用水開鑿豊田翁旧蹟の碑
240.高倉宮以仁王旧蹟の碑
241.虚空蔵尊の碑
242.仏母洞の碑
243.泉橋寺の碑
244.高雄道しるべの碑
245.甕ヶ原離宮址の碑
246.恭仁大極殿址の碑
247.橋本砲台址の碑
248.釈迦堂の碑
249.観空寺道の碑
250.九体寺(浄瑠璃寺)の碑
251.西芳寺の碑其の一
252.西芳寺道しるべの碑其の二
253.宇治駅前の里程標の碑
254.志水月の岡前の碑
255.八角堂の碑
256.石清水社の碑
257.興聖谷不動尊の碑
258.古寺の旧蹟の碑
259.十王像焔魔堂
260.落柿舎の碑
261.神童寺の碑
262.長建寺弁財天の碑
263.瓶の原国分尼寺の碑
264.恭仁橋跡の碑
265.嵯峨駅の碑
266.下立売、妙心寺道の碑
267.加茂笠置分岐点の碑
268.鋳司村学校の碑
269.大覚寺の碑其の二
270.同大沢の池の碑其の三
271.同南北朝御講和の碑其の四
272.同其の五
273.同其の六
274.女郎花塚の碑
275.鳩ヶ峰国分寺の碑
276.元三大師堂の碑
277.宇智王子陵墓の碑
278.木津橋の碑
279.高麗寺旧址の碑
280.一言寺の碑
281.国分尼寺道標の碑
282.海住寺の碑
283.嵯峨弁財天道の碑
284.小倉山近道の碑
285.笠置、和束分岐道の碑
286.笠置山上の碑
287.同弥勒石の碑
288.同薬師石の碑
289.笠置山上文殊石の碑
290.同虚空蔵石の碑
291.六本松の碑
292.天皇潔水の碑
293.西車塚の碑
294.長柄人柱地蔵尊講田寺の碑
295.戸津道標の碑
296.岩田渡舟場の碑
297.開運山寿宝寺の碑
298.よし峰寺其の一
299.同其の二
300.同其の三
301.法泉寺の碑
302.薪能金春の芝の碑
303.称名寺の碑
304.光明寺の碑
305.田原天皇旧蹟の碑
306.西芳寺の碑其の三
307.建武役の碑
308.井手の山の碑
309.筒井陣所東二子塚の碑
310.美の山の碑
311.八幡橋の碑
312.正平塚古墳の碑
313.碁道名人第一世本因坊算砂日海上人の旧蹟の碑
314.法皇寺の碑
315.水無瀬神宮其の一
316.同其の二
317.同其の三
318.同其の四
319.専念寺の碑
320.真言宗寿宝寺の碑其の二
321.山滝寺遺址の碑
322.水薬師の碑
323.宇治田原の碑
324.松井蔵人舘址の碑
325.橋本道の碑
326.戻橋跡放生川の碑
327.相楽の里の碑
328.如法経塚の碑
329.大悲閣の碑其の二
330.妙喜菴の碑其の一
331.妙喜菴の碑其の二
332.安養寺の碑其の二
333.同其の三
334.同其の四
335.同其の五
336.華台寺の碑
337.広沢の池の碑
338.梨間の宿址の碑
339.橘諸兄公古蹟寿福院の碑
340.京都街道の碑
341.長池旧跡の碑
342.赤良浜の渡舟場の碑
343.神宮寺址の碑
其他略之


f0300125_23365044.jpg くわえて同年11月11日には「水無瀬宮の碑外数ヶ所建石の事申込」んでいるため、八幡周辺にとどまらず京都府を越えて大阪府下の建碑にも関わっていると知れます。その他、1930年(昭和5)12月5日には清治郎が芳次郎を訪ね、「綴喜郡田原村字荒木区光島市次郎氏(略)の田原親王址、山栗寺址、の石碑訂正ニ付き書状三通を示し取調べ分を依頼」しています。さらに「日記」に記載はありませんが、前述したように佐藤虎雄の回想や当時の新聞記事により笠置町まで出向いたことがわかります。実際笠置山の麓や中腹に三宅碑は現存しております。
 これに対してこの時期の清治郎自身の建碑範囲は、すでに紹介した乙訓郡向日町や同長岡町、葛野郡北嵯峨地域、洛中西陣にくわえて洛東南禅寺などで、京都市域や洛西北嵯峨、乙訓に限られます。洛南地域の建碑にはほとんど関わっていません。例外は一休寺で、1926年(大正15)8月2日に建碑の申し出をして以来(前述)交流があるようで、「日記」1927年(昭和2)12月28日条にも「○早朝、田辺の一休寺住職来、大応国師其地妙勝寺趾、并ニ佐川田昌俊氏の墓道標等の建石竣工の挨拶、感謝状持来来宅、中村石匠も来宅」とあります。ただし妙勝寺や佐川田昌俊は松花堂昭乗に関係の施設・人物であるので芳次郎の意志も含まれていると判断されます。これは後述します。
 以上のことから、西村芳次郎の建碑範囲は、主に八幡町を中心とした旧綴喜郡、及び相楽郡、大阪府下であったと判断されます。
                             (つづく)

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by y-rekitan | 2017-05-20 06:00 | Comments(0)
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