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◆会報第83号より-05 絵馬

「石清水八幡宮と松本神社の絵馬」

野間口 秀國(会員)


 新年にふさわしい題材はないものかと考えていると、自室の壁に昨年6月に当会の歴史探訪ツアーにて訪れた兵庫県淡路市の伊弉諾(いざなぎ)神宮で買い求めた手のひらサイズの絵馬が目に入りました。多くの神社ではご利益、由緒、言い伝えなどが描かれた絵馬が授与されており、境内の絵馬掛け棚などに結ばれております。石清水八幡宮でも同様です。今回は地元の石清水八幡宮の絵馬と、お隣の城陽市の松本神社に昨年から結ばれるようになった絵馬について書いてみたいと思います。

 石清水八幡宮の御本殿南総門をくぐると、右前方に「お札・お守り授与所」があります。授与された絵馬には願い事が書かれて近くの結び棚に結ばれており、その種類は本殿と鳩のイラスト、エジソンの肖像画、干支のイラストなどです。歴史的には新年度の干支の描かれたものが最も新しいと言えるでしょう。またエジソンの肖像画の描かれた絵馬は形が正五角形で名前もアルファベッドで書かれており、珍しい部類に属するのではないでしょうか。エジソンと石清水八幡宮のご縁は、「彼の発明した白熱電球のフィラメントに八幡産の真竹(まだけ)が使われたことによるもの」であることは良く知られているところです。エジソンの描かれた絵馬がいつから授与所に並び始めたかは不明ですが、昭和9年にエジソン記念碑が建立された(*1) ことから考えても、これ以降であることは間違いなさそうです。今一つは、鳩の描かれた絵馬です。鳩の由来について 『山城綴喜郡誌・第十一編 伝説』には “鳩を神苑に飼養する起源、何れの年代なるか詳ならずと雖も、鳩を詠せし詩歌少なからず、 云々” と書かれてあり、鳩は石清水八幡宮の歴史に古くから登場していることは否めないと思われます(*2)。
 しかし私が注目したいのは、このように授与所でお求めいただける種類のものでは無く、石清水八幡宮に所蔵されていると書かれた「群鳩図絵馬」についてです。平成28年10月に発行された 『国宝指定記念 特別展 石清水八幡宮をめぐる8つのエピソード』 と題する冊子(*3)に掲載されたその絵馬は、丸山応挙筆とあり、天明7年(1787)に薩摩藩第8代藩主、島津重豪(しげひで・1745~1833) によって奉納されたことが冊子の説明文から分ります。同様に写真の絵馬に残る<右端奉納銘>の釈文には “薩隅日三州主兼領琉球国従四位上行左近衛中将源朝臣重豪 天明七年正月吉日” とあり、冊子にはまた、近世の島津家は近衛家領島津荘の地方荘官であったことを発祥とすることから藤原姓、または源姓を称した、とのことや鳩に関する石清水八幡宮に伝わる逸話も書かれています。薩摩藩にあった4つ(加治木、重富、垂水、今和泉の各家)の最高家格の1つ、加治木島津家に生まれた重豪は五百万両という莫大な藩債を生み出した元凶との好ましくない評価と共に、後に訪れる時代の転換期に薩摩藩が勇躍する基礎を築いた藩主としても評価されています。「群鳩図絵馬」が石清水八幡宮に奉納された天明7年正月に重豪は既に隠居しておりますが、藩主として過ごした時期には江戸参府の行き帰りに、宇治、兵庫、大坂などをお忍びで何回となく訪れていますので、この絵馬奉納の背景もとても興味あることではあります(*4)(*5)(*7)。石清水八幡宮へも参詣したであろうとも思われますが、現在この絵馬は京都国立博物館に保管されており石清水八幡宮で見られないのは残念ではあります(*6)。◆会報第83号より-05 絵馬_f0300125_1003572.jpg
 このように、石清水八幡宮には近代の絵馬のみならず、古くからの絵馬もあったことがわかりましたが、お隣の城陽市にある松本神社の絵馬は最近できたばかりのものです。昨年5月の新聞記事に興味を持ったのは、「絵馬づくりの予定有り」とのこともさることながら、松本神社自体についてでした(*8)。メディアに取り上げられる規模や知名度の神社なら知る機会もあったでしょうが、この神社の所在地も知りませんでした。日をおかずに松本神社を探して訪れました。このあたりかな、と思う所で車を停め下校中の小学生に聞くととても親切に案内してくれました。知らないと通り過ぎてしまうほどの小さな規模で、社殿らしきものも無く「絵馬づくりの予定有り」とは想像できませんでした。

 話は変わりますが、読者の皆様で「松潤(まつじゅん)」と言って、ああ彼のこと、とお分かりになる会員の方はいかほどおられるでしょうか。松本潤さん、大人気のアイドルグループ「嵐」のメンバーの一人でファンの皆さんには略して松潤と呼ばれています。8月30日が彼の誕生日であり、その日に合わせて松本神社で絵馬を発売することになったようです。嵐のメンバー5名(大野智さん、二宮和也さん、相葉雅紀さん、櫻井翔さん、そして松本潤さん)にちなんだ同名の神社には嵐ファンが多く訪れているようです。彼等の姓を冠した神社のうちで、松本神社が最後に残った絵馬の無い神社だったようで、多くの嵐(松潤)ファンからの熱い要望を受けて、市政45周年の城陽市が積極的に絵馬作成に取り組まれた結果であっただろうことは同市観光協会の方のお話しから伺えました。予定通り絵馬の発売がなされたことは「松潤ファン 絵馬に行列 城陽の松本神社」と題した絵馬発売翌日の京都新聞記事にて確認できました。ちなみに、メンバーの一人、大野智さんの姓を冠した「大野神社」は隣の県、滋賀県(栗東市)にございます。

 松本神社についてもう少し書いてみたいと思います。道路に面した神社の規模は、左右幅が約6.5m、奥行きが約7.5mで、周囲を瓦葺の白壁で囲まれています。正面の入り口には鳥居が建ち、中央に「松本神社」の額字が見えます。向かって左側の柱には「昭和五十七年十月吉日建之」と刻されており、鳥居は思いのほか新しい時代に造られてのものです。他にも、その歴史を教えてくれる数点のものが確認できます。年月を判読できる最も古い時代の二基の常夜燈の背面には「文化十癸酉(ミズノトトリ)八月日」と読み取れました。ちなみに文化十癸酉は1813年、江戸時代後期です。その他にも柴を供える左右一対の石の壺の1つには「弘化四年〇〇八月日」と確認できます。弘化四(1847)の干支は丁未(ヒノトヒツジ)であることより、〇〇部分は丁未と思われます。このように江戸時代のものに加えて、私の興味を引いたのは「献燈」と刻まれた「昭和六十三年九月建立」の石造りの石碑(燈篭)でした。その右側面に6名(男性4名、女性2名)の名前が刻まれており、この6名の皆様方は同級生であり、内女性1名は現在(2017年6月6日・訪問日時点)でもご存命とのことをご近所にお住まいの方より教えていただきました。
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 松本神社は前述のように規模も小さくて神職さんも常在されず、管理は近くの加茂神社の宮司さんによってなされています。旧名島村の氏神である加茂神社は、社殿の案内板によれば、上賀茂神社の祭神を移し祀ったとされること、旧五月の上賀茂神社の競馬に村から参加させたことなど、上賀茂神社と深いつながりがあるようです。現在では風雨を鎮め豊作を願う「八朔祭」が九月一日に催されています。ところで、前述のように8月30日には予定通り2種類の絵馬が松本神社近くで発売されました。その様子は割愛いたしますが、私も1枚を買い求めた帰り道、加茂神社にも足を運びました。翌日の「八朔祭」に備えて社殿を清めておられた宮司さんに幸いにも以下のようなお話しを聞くことができました。その1)、松本神社は地元の人達によって建てられたが、誰を祀ってあるかは書かれたものが残っていないので不明である。が、住吉大社の末寺であるようだ。その2)、「十六の渡し」の守護であったことは事実であり、神社のある集落は、古くは「大字名島小字十六」と呼ばれていたが現在の住所には「十六」は使用されていない、と。発売翌日の新聞記事にあった「木津川の渡し場の守護神」の木津川の渡し場は、十六(現・城陽市奈島)から草内(現・京田辺市)を結んでいた「十六の渡し」であると思われます。

 最後に、松本神社の結び棚に結ばれている真新しい絵馬の多くは「コンサートチケット当たりますように」の願いとなっておりました。日本中の神社で見られる絵馬の1つ1つに、それぞれの持つ歴史が垣間見える少し楽しい学びの経験でした。本稿をまとめるにあたり色々とご教示いただきました皆様方に紙面より厚く感謝申し上げます。
(2017.12.27)

(*1)『八幡市誌 第三巻』 八幡市刊
(*2)『山城綴喜郡誌・第十一編 伝説』 1908年刊
(*3)『石清水八幡宮をめぐる8つのエピソード』 八幡市立松花堂庭園・美術館刊
(*4)『島津重豪』 芳則正(かんばし のりまさ)著 吉川弘文館刊
(*5)『鹿児島県の歴史』 原口泉・永山修一・日隈正守・松尾千歳・南村武一共著山川出版社刊
(*6)『甦る島津の遺宝 ~かごしまの美とこころ~ 黎明館企画特別展』
展示史料 (鹿児島県歴史資料センター黎明館 2010年)
(*7)『島津重豪と薩摩の学問・文化』 栗林文夫著 勉誠出版刊
(*8)京都新聞2017.5.24、8.31、10.31各日付記事、11.21日付朝刊コラム

 
by y-rekitan | 2018-01-26 07:00
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