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◆会報第84号より-01 叡尊

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心に引き継ぐ風景・・・⑮

その後の叡尊 宇治・八幡
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 弘安4年(1281)の蒙古襲来の時、奈良西大寺の叡尊は京・奈良の僧560余人と石清水八幡宮宝前にて国家鎮護の祈祷を行った。その祈祷によって神風を吹かせ、元軍を撃滅したという。
 弘安9年(1286)宇治川の網代撤廃による殺生禁断により漁具の一切を浮島に埋めて、その上に壮大な「十三重石塔婆」を建立した。当時大和、山城地方で活躍した叡尊率いる伊派の石工集団によるもので、各地に2mを超す大五輪塔や石碑を多数建立したが、八幡の大石塔もその一つと考えられる。
 宇治川の殺生禁断と共に「宇治橋修復」も行い弘安9年11月に完成させた叡尊は漁師たちに曝し布の業を与え、また「茶」を植える事を勧めて生業とさせ、今日の宇治茶の盛業となったと伝えられている。
 また、叡尊の「橋寺放生院」再興時に安置したといわれる高さ1.9mの地蔵菩薩立像は全身に金泥を塗りその上に彩色を施した美しい像で、その前傾姿勢は今にも救済に踏み出そうとする姿と云われている。
「橋寺」の近く明治まで二社一体であった「宇治上神社」と「宇治神社」には石清水八幡宮の祭神・応神天皇や子の仁徳天皇・菟道稚郎子命が祀られている。大吉山展望台に登れば「奈良街道宇治橋」の先に「八幡宮の男山」を眼下に遥拝する。
(文と写真 谷村 勉)空白



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by y-rekitan | 2018-03-26 12:00
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