「上鳥羽搭ノ森上河原の墓地」に「若狭野政吉」(文久二戌年三月建之・1862)の四股名を刻む立派な力士墓が残っている。それとは別に「頭取若狹野碑」(明治廿八年七月五日建之)も残る『京都・滋賀の相撲』。いずれも時代的に同一人物とは思えない。昔から鳥羽には相撲好きが多く、草相撲の盛んな地域であった。 「俗名 若狭野政吉」とは鳥羽を本拠地とする力士の一人だったのだろうか? 綴喜郡井手町「玉津岡神社」の奉納板番付(文化十四年・1817)に勧進元「若狭野三四郎」の四股名が今も残っている。「俗名若狭野政吉」も草相撲の盛んな鳥羽・井手を往還中に「内里北ノ口」付近で客死したものか! 相撲取が若くして死ぬと、“余りに強い為、毒殺された”との噂が付いて回る。 (文と写真 谷村 勉)空白
by y-rekitan
| 2018-07-28 12:00
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