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◆会報第86号より-06 歴史さんぽ①

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シリーズ「私の歴史さんぽ」・・・①


洞ヶ峠


倉田 美博 (会員)

 リタイヤしてから久しい。健康のために散歩を兼ねて家の近くでウオーキングをすることが日課になった。何も考えず、まわりの景色に四季を感じながら歩くのは楽しい。
私はいつごろから思い出せないが歴史に興味を持っている。現職のころは仕事に、子育てにと、なかなか好きなことに没頭することができなかった。
 一昨年、ひょんなことから「八幡の歴史を探求する会(八幡歴探)」というわが町八幡の歴史をいろいろと勉強されておられるアマチュアの歴史愛好家に出会った。
そのことが私の心に火を灯してくれた。その方の勧めもあり、その会のお仲間に入れいただいた。元々、歴史には興味もあり、その時代、時代に生きた人々の生きざまやロマンにますます引かれていく自分を感じている。

 わが家から数分のところに、あの筒井順慶で有名な洞ヶ峠がある。洞ヶ峠は山城の国と河内の国の国別けの峠。昔の峠は今ではわからなくなっているようだが、現在は国道1号線(通称・枚方バイパス)が走り、重要な幹線道路。◆会報第86号より-06 歴史さんぽ①_f0300125_20314088.jpgその国道と八幡と奈良方面を結ぶ府道(通称・山手幹線)が交わる交差点の南西角に2枚の大きな看板には挟まれて遠慮がちに立っている1本の碑がある。
 表面には《筒井順慶陣所跡》とある。あの日和見主義の代名詞になった『洞ヶ峠の順慶』、『洞ヶ峠を決め込む』の有名な洞ヶ峠の碑。

 史実とはどうも違うようだ。
洞ヶ峠には筒井順慶は出陣していない。明智光秀が、順慶の到来を待つために自ら陣を張ったのだ。
 しかし、順慶は光秀に助勢を乞われたにもかかわらず、郡山城から一歩も動かず、山崎の合戦には参戦していない。
 順慶が大和一国を治められるように助成してもらったのは光秀。光秀には足をむけて寝られないほどの大恩人。当然恩に報いなければならないはず。だが、動かなかった。また、娘婿の細川忠興にも体良く断られた。多くの傘下の武将にも見放された光秀。 
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 光秀が本能寺の変を起こしたのには、歴史の表面には出てこないが、羽柴秀吉、徳川家康たちの何か陰謀、策略があったのではないだろうか、と勘繰りたくなる。
 事件後、秀吉にしろ、家康にしろ、なぜ、あれだけ素早く行動出たのだろうか。
 光秀には自分が動けばみんながついてくるとの判断があったからの行動だったのではないだろうか。しかし、その判断は間違っていた。主人殺しの汚名を着せられてしまった。
主だった武将たちは誰も協力、支持、支援されなかった。
 その時、光秀は何を考え、心中はいかがだっただろう。誰もがうかがい知ることはできないが、さみしかっただろう。おそらくその時点で心の中では敗北していたのではないだろうかと思う。
 推測にしか過ぎないが、信長は新たに勢力下に納めた山陰、山陽を政治家として有能な光秀に目を光らせてもらうために、丹波、丹後から転封させたのではないだろうか。
だが、二人の心の中までは歴史の表面では教えてくれない。
 その人々の表に出てこないことを推測する。それが歴史に駆り立ててくれる私のロマンだ。

 自己保身はいつの時代にも通じる世の習い。
 私も現職のころはそのような世界に生きてきた。
 山あり谷あり、現在でもビジネスの世界で生き抜いて行くためには策略、場合によっては欺くことも必要ではないか。「洞ヶ峠を決め込む」と言うことわざは「日和見だ」、「付和雷同」などとあまり良い意味には使われないが、ひょっとしたら「機転が利いている・時勢を読むのが上手い」という称賛され現在に通じることわざになりうるのではでないだろうか。◆会報第86号より-06 歴史さんぽ①_f0300125_20375427.jpg

 ことわざ「洞ヶ峠・・・」も、もしかしたら冗句好きの秀吉が順慶をからかい半分に言ったとも聞く。
 秀吉が自らを揶揄して言ったのではないだろうか。

 私はそんなロマンに出会いたい。だから、歴史の話からは離れられない。



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by y-rekitan | 2018-07-28 07:00
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