◆会報第88号より-06 狩尾神社

狩尾とがのお 神社のお祭り

野間口 秀國(会員)


狩尾神社のその日の様子

 祭りの当日、2018年10月25日はTVの天気予報でも「日本全国殆ど晴れマーク」の晴天に恵まれました。その日の午前中、男山の西端に位置する橋本狩尾にある狩尾神社で地元の人達や関係者が集まり例祭が催されました。今年は大阪北部地震が発生し、震源からそう遠くないこの橋本地区もかなりの揺れが発生しました。そして秋には立て続けに近畿地方を襲った台風、21・24・25号によって神社の杜でも一部の樹木が倒れたり枝が折れたりと、他の多くの神社仏閣でも見られたように被害から逃れることは出来なかったようです。そんな自然の猛威にも長年耐えてきた、決して大きいとは言えない社殿もひと頃に比べると傷みが目を見張るばかりです。

 社殿の建つ場所は小さな山の頂上部分にあたり、そこからは淀川を挟んで天王山などが展望できます。社殿へと登る階段のある場所には大きな石の鳥居が建っており、その右側の柱には奉納者のお名前が、左側の柱には「紀元二千六百年建之」と刻まれています。また、この鳥居は以前この地より少し離れた、かつての京街道から石清水八幡宮への参詣道を少し入ったところに建っていたものが、昭和40年代以降の住宅地開発によって現在の地に移されたようです。鳥居の前(正確には下)に立つと、目の前にかなり急な傾斜の石段が、まるで登ることを阻む壁のように迎えてくれます。この階段を休みなく33段登ると踊り場にたどり着きます。少し息を整えて引き続き後半の33段を登ると頂上部に到達し、そこが神社の入り口です。振り向くと少し怖いほどの急な階段であることが登ってみると実感できますが、神社へは南東側に階段ではない坂道がありますのでそちらから登られることがお勧めです。社殿に続く短い参道の左右には二対の石燈篭がありますが、この秋のいずれかの台風のせいでしょうか、灯籠の最上部を失ったり、また上部の三分の一が落下していたり、破損したものがあったりと、台風の被害の様子がここでも確認できます。

湯立神事は祭りの見もの

 さて社殿に目を向けると、奥の神殿との間には東屋風の舞台があります。その舞台の近くに直径五六十センチほどの釜がしつらえてあり、お湯が沸かされて白い湯気がたっているのが分かります。舞台には、神殿に向かって左右2組の神饌が準備されており、それらは季節の果物や野菜、お神酒徳利、昆布、米などなどです。進行役のご発声にて祭りが始まり、全員低頭してお祓いが行われ、引き続き神饌が奉献されました。神職さんたちによって、準備された2組の神饌が手渡しで次々と神殿に運ばれ、引き続き祭主の祝詞が奏上され、巫女による神楽が奉納されました。
 祭りの見ものである湯立神事がこの後に続きます。氏子さんと思われる男性が、八幡宮から切り出された竹から、笹の付いた枝を三四十センチほどの長さに切りそろえて束にされたものが釜の近くの台に置かれました。最初に巫女が鈴と御幣をかざして湯の沸いた釜の前で舞を舞います。舞が終わると釜の湯を櫂で混ぜ、塩を掴んで撒き、四方にかざしたのち塩を釜に入れます。続いて米を撒き、米を四方にかざして釜に入れます。同様にお酒を撒いて釜に入れます。これらの物を釜に入れた後、今度はお湯を手桶にくみ取って舞台上の神官に渡し、神官は受け取ったお湯を神殿に奉納します。f0300125_911885.jpgこの後、巫女は既に準備された笹の束を沸き立つ釜にしたし四方にかざします。お湯で濡れた笹を、巫女は左右に振り回すように祭りに集う関係者や地元住人の皆さんにお湯を数回にわたって撒きかけます。最後に巫女は鈴と御幣で皆さんをお祓いします。この後、祭主が玉串を奉納し拝礼、続いて宮総代会長、町内会などの各代表が拝礼されます。最後に神棚が整えられ、祭主が一拝して祭りは終わりとなります。

狩尾神社に関わることなど

 ところで、橋本地区には「橋本塩釜」という町名があります。この町名の由来は、先に書きました巫女が笹の葉で参集者に湯を振りかける神事にちなんでおり、その湯が塩釜あたりまで飛び散ったことから「塩釜」という伝承となったと言われております。「そうなのか」と素直に思う一方、「そこまでは届かないだろう」とも思える内容ではあります。
 ちなみに神社から塩釜までは直線距離でも800m近くはあろうかと思われるからです(*1)。塩釜にある「塩釜」バス停近くの駐車場の一角には「鹽竈」と刻された石柱が建っており、隣には「塩竈古跡」と刻まれた三宅碑を見ることができます。f0300125_973169.jpgこのシオガマの地名について、長濵尚次は『男山考古録』第十二巻で「鹽(しお)ゴリバの言転訛して、鹽ガマと称せしならむ、又當山に鹽を焼たる事有へくもあらす、又古代山崎津迄潮さしのほるという説も信しかたし」と、彼自身は信じがたいことと述べております。また尚次は同書で「安居神事、其年の祭主の地より最西に當る所にて鹽をかかりて。其式を行ふ」とも述べて、ここで「鹽垢離」がなされていたと述べております。(*2)
 そして、今一つ狩尾神社に関わる近年のできごとがあります。それは、この神社がNHK BSの番組で取り上げられて一時的とは言え全国に知られたと思えることです(放送日は2013年5月14日でした)(*3)。番組は視聴者よりの「心に残る場所」の便りをもとに、筆者と同年生まれの俳優、火野正平さんと彼のチームが自転車でその地を訪れる「にっぽん縦断こころ旅」です。橋本地区にお住まいのご婦人の要望がまさにこの狩尾神社であり、枚方大橋傍の公園から自転車を走らせて橋本へ。京阪電車橋本駅近くの急坂を(ここでは自転車を降り、押して)上り、神社へと向かいました。神社は山の頂上にありますが、これは住宅開発によって神社の周囲が円錐状に近い形で削り取られた結果なのです。見た目にはプリンを容器から取り出して皿に置いたような形となっており、誰が名付けたのかは定かではありませんが地元の人達には「プリン山」と呼ばれています。しかし、この名前には、形だけでは無く、開発によってこのような形になってしまったことに対する非難の意味も少なからず込められているようです。近くで見るとなぜかそう見えるのですから面白い名前がついたものだとは思いますが・・。
 祭りの最後に祭主は挨拶にて、「この狩尾神社は石清水八幡宮の本殿建立よりもっと昔に、当時の天皇がこの地を訪れて狩りをされた時にこの神社に参られた古い歴史を有する神社であること、狩尾神社がこの地の鎮守の神、産土の神、であると共に地政学的にも重要な位置である」ことなどを話されました。祭りを見学して地元に住む者として狩尾神社への愛着を深めると共に学びの一日となりました。
(2018.10.28)

参考文献等;
(*1)『都市地図 八幡市久御山町』 昭文社刊
(*2)『石清水八幡宮叢書一 男山考古録 巻第十二』 石清水八幡宮刊
(*3)NHKふれあいセンター(放送)「にっぽん縦断 こころ旅」担当に確認

by y-rekitan | 2018-11-30 07:00 | Comments(0)
<< ◆会報第88号より-05 三宅碑 ◆会報第88号より-07 増補版冊子 >>