八幡の古寺巡礼 ―第6回:杉山谷不動尊~神應寺を巡る― 高田 昌史 (会員) 今年の「八幡の古寺巡礼」は、12月6日に貞観2年(860)男山北側山腹に石清水八幡宮本殿とほぼ同時に創建された神應寺を中心に巡りました。当日は生憎の天候で足元が悪かったために当初予定の神應寺墓地行きは中止しましたが、その代わり神應寺ではご住職の講話をゆっくり拝聴し、本堂内や書院を丁寧にご説明していただきました。その概要を報告します。 参加者は39名でした。 第6回古寺巡礼は、八幡市駅近くの神應寺を中心に巡りました。一の鳥居近くで受付後に、配布の「しおり」によるコースの概要説明と移動時の注意事項をお話してから出発しました。 左図はコース図で、急な登りがありますが全歩行距離は約2kmと短いので、小雨が時々降る中を周囲の鮮やかな紅葉を見ながらゆっくりと足元に細心の注意をしながら、最初の目的地の「ひきめの滝」に向かいました。 神應寺の山門前では参道の石段を確認してから、五輪塔の横を通り比較的緩やかな谷筋の道を行きました。橋脚が日本一高い(50m)男山ケーブルを見上げながら、 「大聖不動明王」の額が掲げている杉山谷不動尊の鳥居をくぐりました。すぐ左側に谷へ降りる道に小さな鳥居があり、その先に在るのが古来涸れることのない滝水「ひきめの滝」です。杉山谷不動堂は鎌倉時代から江戸時代まで続いた安居神事の祭りで、安居の頭役と呼ばれた神事の祭主が禊を行う所で、御師や壇所太夫が同道して塩湯掛を行いました。その日は正明寺(戊辰ノ役で焼失)から湯屋が運ばれ、不動堂の後ろ、「ひきめの滝」に設(しつら)えられたそうです。橋本から安居の頭役が出た時は、塩釜と呼ばれる所【塩垢離(こり)場】で塩湯掛を行ったと伝えられています。 本道に戻り、「杉山谷不動堂」に向かいました。 坂を上がると、杉山谷不動堂に到着です。 不動堂前で神應寺の大木祖浄住職に出迎えいただき恐縮しました。 杉山谷不動は厄除け不動として信仰され、ご本尊の秘仏「不動明王像」は不動堂奥の厨子内に安置されています。この秘仏不動明王は60年に一度の開帳で、近年では平成22年(2010)春に開帳されました。通常は中央に前立不動尊が居られ、脇侍として右側に不動明王従者の衿羯羅童子(こんがらどうじ)、左側が制多迦童子(せいたかどうじ)です。両脇侍は等身大の木像で全国でも珍しく、八幡市の指定文化財(平成13年登録)です。この木像は南北朝から室町前期に製作されたと伝わり、その存在感は見事なものです。 不動堂の左の十一面観音堂を拝観後、大木住職とご一緒に参道や下に見える建物等、台風21号による被害や復興状況を見ながら神應寺に向かいました。なお、厄除延命地蔵尊の隣で復興工事中の建物では、2月3日の節分に「厄除けぜんざい」が振る舞われると伺いました。 杉山谷不動堂からの神應寺までの参道は、緩やかな登りで神應寺の鐘楼前に着きました。鐘楼前でご住職の説明をお聞きしてから、本堂に上がらせていただきました。 神應寺は貞観2年(860)石清水八幡宮を勧請した僧行教が應神天皇の位牌所として開山し應神寺と称したが、後に神應寺と改めたとのことです。宗旨は初め法相宗、次いで天台宗、真言宗、そして禅宗となり四宗兼学の道場でしたが、現在は曹洞宗の寺院です。本堂で大木住職の講話を拝聴しました。 ご住職は昭和35~40年(1960~1965)永平寺で修学され、その後常昌院(八幡大谷)に来られて30年間復興に尽力され平成6年(1994)に落慶法要をされました。平成10年には常昌院から神應寺に移り神應寺50世住職になられてから、住職ご夫妻が整備されました。今では手入れが行き届いた「駅近の観光スポット:名刹神應寺」として多くの方が訪れます。中でも11月下旬の今年で15回目の「神應寺もみじ祭り」は、恒例の行事となり今年も初日に350人の方が訪れたと伺っています。 「本堂正面」でご本尊の薬師三尊仏、日光・月光像等のご説明を拝聴して、 引き続き本堂左の「分霊の間」に移りました。正面には行教律師座像(国指定重要文化財)、右側には秀吉の位冠束帯の像、左側は徳川家13代目までの位牌があります。なお、1月18日の行教律師の命日には、毎年八幡宮からのお参りがあると伺いました。 引き続き、本堂後方の「開山堂」に移動し、納められている多くの位牌や仏壇・頂相彫刻像などの説明を受けました。 開山堂からは本堂右側「分霊の間」の文殊菩薩(獅子に乗っておられる)を拝観してから、本堂に掲げられている扁額や襖絵などを拝見し、伏見城の遺構と伝えられる書院に移動しました。書院手前の和室の眼下には二季咲桜の開花を見ることができました。 書院では、11月末のもみじ祭りで特別公開された「秀吉の朱印状」と「寒山拾得図」をご住職の特別なご厚意により展示説明していただきました。 ① 秀吉の朱印状(3通):この朱印状は、昭和40年頃散逸したものを、大木住職が購入(買戻し)されたと伺いました。また、朱印状3通の横には翻刻文も展示されていました。なお、この翻刻は当時の八幡市の文化財担当者が行ったようですが、もみじ祭りでの公開初日に谷村氏(今回の古寺巡礼の担当幹事)が不明の個所が多いことに気が付き、差替えて体裁も整えられました。 ② 寒山拾得図(かんざんじっとくず)(掛け軸):男山考古録の著者である長濵尚次の貴重な作品です。松花堂昭乗の寒山拾得図を参考にして描いています。 神應寺の寺紋について 豊臣秀吉が征韓の役に出陣するにあたり八幡宮に参拝した際に宿泊し200石を寄進しました。当時十二代住職の「弓箴善僵(きゅうしんぜんきょう)」は豊臣秀吉と同郷朋友であり、北政所も深く帰依しました。その後、徳川家も帰依するところとなり、 神應寺の寺紋は豊臣家の「桐」(右側)と徳川家の「葵」(左側)です。神應寺は豊臣秀吉と徳川家康から共に120石の「領地朱印状」を給わりました。 以上、今回の古寺巡礼は時々小雨が降る生憎の天気のために、当初予定の「神應寺墓地」巡りは中止して、神應寺ご住職の講話や仏像や展示物の説明を予定より長く拝聴しました。終了時間が予定の16時になったので、神應寺での流れ解散としました。 なお、当日配布の「八幡の古寺巡礼のしおり」には、参拝予定だった神應寺墓地の各墓石の写真と説明を入れましたが、以下に行教の墓と各墓石のみ記載します。 1.行教の墓神社には墓地がないので、行教の墓は神應寺墓地にあります。墓は平成16年に修復され墓の竿(柱)には、正面に【開山行教大和尚】、裏面に【平成16年吉日修復、石清水八幡宮 恆清、神應寺 五十世祖浄】と彫られています。 2.その他の主な神應寺墓地の墓 (1)右衛門佐の追悼墓 (2)淀藩 永井家一族の墓 (3)淀屋の墓 (4)二宮忠八の墓 (5)山本勘助(孫)の墓 連続6年になる「八幡の古寺巡礼」では、初めて天候が悪く心配でしたが、お陰様で無事終了しました。 神應寺の大木住職には、杉山谷不動堂で参加者をお出迎えいただき、不動堂~神應寺までのご案内と神應寺本堂では、講話~各仏像や展示物の説明などを長時間にわたり、大変お世話になり、感謝と御礼を申し上げる次第です。 今回で八幡の古寺巡礼は6年間で14寺院を巡りました。次年度も「古寺巡礼」を継続開催して、八幡の歴史を探究して行きたいと思います。これからも八幡の古寺に関する情報等がございましたら、お寄せいただきたくお願い致します。 ▽訪問に際しての注意事項 本堂での写真撮影禁止は、皆様ご承知と思います。本記事では本堂や開山堂などでご住職講話中の写真を掲載しますが、何れも事前に了解を得ています。 また、今回中止になりましたが、神應寺墓地への立ち入りも事前許可が必要ですので申し添えます。 (参考資料) ・『男山考古録』 ・「神應寺 案内書」 ・「八幡の歴史を探る」(八幡の歴史を探究する会 会報) ◆会報第34号より-01 2013年1月 ◆会報第71号より-01 2016年2月 ◆会報第73号より-01 2016年5月 ◆会報第80号より-01 2017年7月 ・「八幡文化のふるさと」 1991年(八幡市教育委員会) ・「京都・山城寺院神社大事典」 1997年 平凡社
by y-rekitan
| 2019-01-28 11:00
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