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◆会報第92号より-02 平城宮跡

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《6月例会 歴史探訪バスツアー》

平城宮跡歴史公園巡りと大安寺を訪ねて

   滝山 光昌 (担当幹事)







日時: 2019年6月5日(水)
訪問場所:奈良市平城宮跡歴史公園、大安寺、元石清水八幡宮
行程:八幡市駅前出発→平城宮跡歴史公園(朱雀門広場)→ 【朱雀門及び各展示館等見学後に昼食】→ 資料館着 → 【第一大極殿→遺構展示館見学等】→大安寺→元石清水八幡宮→八幡市駅着
参加人数: 21名

 バスは参加人数の減少で大型から中型に変更し、8時30分に八幡市駅を出発しました。往道は高速道路を使うことなくのんびりと。10時少し前に奈良市平城宮跡歴史公園に到着した。午前中は曇っていましたが、午後は晴れて蒸し暑い1日になりました。帰路は高速道路を使い、午後5時半頃八幡に着きました。以下、ツアーの概要を報告します。


1.平城宮跡歴史公園

 平城宮跡歴史公園は、奈良市内に広がる特別史跡平城宮跡を計画地とした国営公園です。(国営公園区域約122ha、その他区域約10ha 合計で約132ha)

平城京の歴史
 ◆会報第92号より-02 平城宮跡_f0300125_1111818.jpg710年( 和銅3年) 藤原京( 奈良県橿原市)から奈良盆地の平城京に都が移された。
 南北約5km、東西約6km、中央北端には「平城宮」が造られた。平城宮は約1km四方の広さで、大極殿などの宮殿や天皇の住まいである内裏が造られた。
 聖武天皇は740年~745年恭仁京や難波京Iに都を移すが、再び平城宮に帰ってきた。その前後で平城宮の建物は大きく造りかえられた。
 平城京は784年京都(長岡京)に都が移ったのち、放置されその姿を地上から消えてしまっていた。710~784年の74年間を奈良時代と称する。(平城宮跡クイックガイド参照)

(1) 朱雀のひろば・ 平城宮いざない館・天平うまし館
 10時前に朱雀ひろばの駐車場でハスを降り、昼食まで自由行動。
 まず、参加者が向かったのは朱雀門。ここは1998年(平成10年)に復原された。
 平城宮の正門であり、その前では外国使節の送迎を行ったり、大勢の人達が集まって歌垣などを行ったりし、正月には天皇がこの門まで出向き、新年のお祝いをすることもあった。
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 次に、奈良時代の平城宮を体感し、出土品や資料のよみときできる、平城宮いざない館へ。
 展示室「平城宮跡のいま」は、平城宮跡の全体像と注目ポイント、四季を彩る豊かな自然、進行中の復原工事情報など公園をしるための各種情報・最新情報を展示。
 展示室「時を越えて」は、奈良文化財研究所による継続的な発掘調査・研究により明らかになってきた平城宮・平城京の姿。現代人に共感できる視点で出土品や資料を紹介展示室「平城宮のようす」は、平城宮全域の復原模型(1/200) や大型映像、平城宮一日絵巻など、往時の平城宮に入り込んだような空間中で、奈良時代の雅な世界が理解できるように。
 展示室「往時のいとなみ」は、第一次大極殿復原にあたり製作された構造模型(1/5) を間近に見ながら、組物・瓦葺き・木蘭文書づくりなどさまさまな体験ができる。
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 昼食は、天平うまし館で野菜を中心とした定食(メインディッシュは素魚のフライ)を頂いた。館の前には復原された遣唐使船がつながれている。
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(2) 平城宮跡資料館・第一次大極殿・遺構展示館
 昼食後、バスで平城宮跡資料館駐車場まで移動。ここからは奈良文化財研究所のガイドさんの案内があった。
 まず、平城宮跡資料館は奈良文化財研究所が1960年代から行ってきた平城宮の調査をもとに、平城宮跡のことを分かりやすく解説する施設。奈良文研は、木商の研究で有名なようだ。
新聞の土曜番に最近までここの研究者が木簡についての記事を連載されていたことを覚えている方もいるだろう。ガイドさんによると、一部の木簡は国宝に指定されたとのこと。
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 第一次大極殿は2010年正殿の復原が完成した。
 古代の宮都における中心施設で。元旦朝賀や天皇の即位など国家儀式の際に天皇が出御する場所。
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 遺構展示館は発掘調査で見つかった遺構をそのまま見ることができるほか、第一次大極殿や内裏の復元模型を展示している。
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2. 大安寺

 大安寺には、午後3時過きに到着した。
 直ぐ本堂に案内され、お香で掌を清め、河野良文貫主様のお勤めのあと、大安寺の栄枯盛衰についてお話を伺った。本堂は全面格天井の造りで、天井付近は、最近建立された普通のお寺の本堂には見られない丁寧で複雑な造作がなされていて、往時の繁栄が偲ばれた。
 お話によると、聖徳太子により、飛鳥の藤原京に建立され、平城京遷都に伴い今日の地に移された。奈良時代は七重の塔を持つ当時最大の大規模な伽藍であった。当時は800名以上の学僧を擁し、仏教の総合大学となっていた。空海、最澄等の名僧もここで修行されている。宇佐八幡宮からご祭神を勧進し、石清水八幡宮の建立に携わった行教(空海の孫弟子)は大安寺の修行僧である。
 都が平安京に移ると、旧都は次第に寂れてきた。本寺も度重なる災禍により、大伽藍も全て失われ、江戸、明治期は廃寺のようなであったが、九体の天平仏のみ難を逃れ、今も残った。
 現在境内の広さは最盛期の約1/25となり、南都七大寺の中では逆に一番小さいお寺となってしまった。お話の中で、先日東京から団体の参拝があったが、「奈良の隠れた古寺巡り」のような名称がツアーに付いていたのにはがっかりしたとおしゃっていた。
 大安寺は近年「がん封じ」の祈願寺として知られるようになっており、1月23日に行われる。
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 大安寺は真言宗の寺院で、こ本尊は十一面観音立像(重文)。この他に宝物殿に七体の仏像が安置されいずれも重文に指定されている。又、噺(いななき)堂には馬頭観音(重文)祀られているがこれは、通常非公開で、3月1日~31日に特別公開されている。今回宝物館の表扉を開放して頂いており、明るい中で仏様を拝することができた。本尊様も通常御簾に隠れていらっしゃるが、10月1日~1月30日に特別公開されている。

3. 元石清水八幡宮

 元石清水八幡宮は大安寺の南徒歩5分の所にあり、以前は大安寺の境内であり、 ◆会報第92号より-02 平城宮跡_f0300125_81372.jpg南隣には大安寺の大塔の遺跡がある。
 807年(大同2年)に「大安寺」の僧行教により、大分の宇佐八幡宮より勧進され、大安寺の鎮守とされていて戦国時代末には廃絶状態になったが、地域の人々の鎮守として再興された。
 また、「行教和尚は夢の中で京都の男山に八幡大神(応神天皇)を祀れというこ神託を受け、859年(貞観元年)京都府八幡市に山城石清水八幡宮(男山八幡宮)が建立されます。」とも伝わっている。御祭神は仲哀天皇、応神天皇、神功皇后を祀る。
 この神社は今、神社修復事業を行っており、参詣したときは中門は工事中だった。

4. おわりに

 平城京は710年~784年の74年間で平安京に遷都した。平城京は地上から跡形もなく消滅した。しかし、神社・寺院は現在まで残っている。行政に携わる人々は平安京に移ったが、桓武天皇は寺社勢力の政治への不当介入を阻止するため寺院の平安京への移転を禁止した。

 午後からは暑い中、2班に分かれて奈良文化財研究所のガイドの方に熱心に案内して頂いた。後日、文化財研究所にお礼の電話をしましたが、当日担当された2人のガイドさんからは「楽しくガイドできました」との報告が入っている、と伺いました。
 また、大安寺の本堂では、河野貫主にはお勤め後の講話の中で「石清水八幡宮を勧進した大安寺の僧行教」のお話をして頂きました。
 以上、今回のバスツアーは、快晴の中、盛り沢山のスケジュールでしたが、参加の多くの方から「しんどかったが、楽しかった」との感想をお聞きして、担当幹事一同安堵しました。
 また、来年度も歴史探訪をツアーを計画したいと思います。


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by y-rekitan | 2019-07-24 11:00
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