谷村 勉(会員) 天正10年6月10日、光秀は洞ヶ峠に大和の筒井順慶を待った。 6月2日の明け方、織田信長・信忠を討った後、近江を平定し、矢継ぎ早に朝廷工作や都の治安対策を行い、近隣諸将も味方につけたが、肝心の与力であった細川幽斎・忠興父子に参陣を促すも、信長を弔うとて髷を落として光秀の誘いを断ってしまった。 ![]() ![]() 天正10年6月2日午前4時頃明け方、本能寺を囲む、午前6時頃、本能寺炎上 午前7時頃、二条御所(二条家邸宅跡)で信忠と戦闘開始 午後、安土に向かうが山岡景隆(瀬田城主)に瀬田大橋を落とされ断念 3日近江攻めの後、坂本城へ 4日瀬田橋の復旧に全力 長浜城、佐和山城攻略 5日瀬田橋を復旧し、安土に入城、 6日安土城占拠、美濃・尾張平定に注力 7日勅使吉田兼見と安土城で対面 8日安土城を出陣、坂本城へ帰城 9日京都へ入り吉田兼見邸を訪れる。朝廷・寺社へ銀子を献上、 兼見邸で連歌師の紹巴、昌𠮟、心前の相伴で食事 細川藤孝・忠興に翻意を促す覚書を送る 上鳥羽へ出陣 10日筒井順慶に出陣を促すべく洞ヶ峠へ(細川忠興軍功記などによる) 11日洞ヶ峠を撤退し、下鳥羽へ帰陣 淀城改修 12日山崎の戦い小競り合い 13日午後4時頃、開戦 光秀の万全の布陣も兵力差は如何ともし難く 左翼の湿地帯から思わぬ猛攻撃を受けて明智軍は総崩れに、 勝龍寺城に一旦戻るも坂本城へ向かう途中、醍醐・小栗栖辺りで 落人狩りにより落命する。 ![]() 「本能寺の変山崎の戦」 高柳光寿 「明智光秀劇場百一場」 鳥越一朗 「細川忠興軍功記」
by y-rekitan
| 2020-05-22 09:00
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