―その1(一の鳥居~裏参道~展望台へ)― 毎日眺め、散策している身近な男山。しかし、石段横の植物、巨木の木肌や木についた緑の葉っぱをじっくり見たり、嗅いだりさわったりしたことは少ないと思います。鎮守の杜の自然観察をしながら散策を楽しみました。 八幡さんの自然観察は次のコースで3日間に分けて観察を実施中です。
![]() シイは常緑広葉樹。5月に穂状の花をつけ、男山を見ると白っぽくモコモコと見えるのはコジイ(ツブラジイ)です。葉っぱの表面は濃い緑色で裏は銀褐色。スダジイとは、どんぐりの形しか見分けが難しい。どんぐりは花が咲いた次の年に成熟して、秋の参道に沢山のどんぐりが落ちています。アクがなくとても美味しいです。 ![]() 京都府レッドデータブック絶滅危惧種。湖沼、河川の淀みに生育する多年草の浮葉植物。花期は、6~9月。池前の説明板には、大谷川から移植したと記されている。 鳥居の右にオガタマノキ(図2)がある。 ![]() ![]() タブノキ(図3)は、高良社のご神木で京都府の自然200選に指定されている。この巨樹は樹齢約700年。根回り7.5m、樹高約25m。常緑広葉樹で4月から6月に小花を枝先に咲かす。葉は光沢のある革質枝先に集まる。果実は1cmくらいで熟すと黒紫になる。樹皮や葉には粘りをもち古くから線香の材料に使われる。黄八丈の染色材にもなっている。 男山の南斜面を常緑広葉樹のアラカシ、タラヨウ、ヤブニッケイ、クスノキ、その林下にヤブミョウガ、ヤマアイが群生している。 参道をふさぐようなマツは、吾妻鏡によれば、1195年(建久6年)4月3日、東大寺の大仏落慶供養のため上洛した源頼朝は妻北条政子と娘大姫とともに私的に参拝し、15日には長男頼家を伴って公式に参拝の折、鎌倉から6本の松の苗木を持参して境内に植えたと伝えられている。昭和の初めまで6本の松のうち1本生き残っていたが落雷で消失、現在のマツは1955年(昭和30年)に奉納されたもの。 石段の最初の踊り場 目の前の砂防堰堤にマメヅタ(図4)が幾何学的な絵を描いている。 ![]() 胞子が茶色く熟すとまるでブラシのように見える。 これが岩や樹幹にびっしり着生する。空中湿度の高い場所を好んで生える。護国寺跡付近でも見られる。 斜面の湿ったところに60cmくらいのリョウメンシダ(図5)が。裏も表も同色で同じように見えるのでこの名がついた。葉は、黄緑から明るい緑色をしている。まるでレース編みのようなシダです。裏参道に多く見られる。 ![]() 石段を登るとイスノキ(図7)の大木がある。 ![]() 参道脇には、ヤブツバキ、木肌が網タイツのアカメガシワ、樹形が逆さ箒のケヤキ、葉が3行脈のヤブニッケイ、幹が緑のアオキ、クスノキを観察しながら竹雨水(石垣の水溜め)を通過する。 参道に、ムクノキ、エノキ、アラカシの葉っぱも落ちている。沢の谷筋には、春にタチツボスミレ(図8)の清楚な花の群生見られます。男山で最もよく見られるスミレです。ツボは坪で庭のこと。庭に咲く茎の立ち上がったスミレの意味。 ![]() ![]() 太子坂を進み、萩坊跡を谷側に少し行く ホウチャクソウ(図11)の群落がある。変わった名前は、花が、寺院の軒に下げる風鈴状の宝鐸(ほうちゃく)に似ているため。花は4~5月枝先に緑白色で先が濃緑色の花をつける。果実は黒く熟し1cmくらいになる。 すぐそばに開花が2~5年のウバユリ(図12)が生えている。満開になるときは葉(歯)がなくなるため「姥」という。 ![]() 参道に戻り護国寺跡へ モウソウチク林の中に、ケヤキ、クスノキの大木の下、 ![]() 第1回調査の後半(男山山上の護国寺~展望台~清峯殿)は、次号で報告します。 (自然観察指導員) ―次号(106号)に続く― 一一
参考資料
by y-rekitan
| 2021-09-27 10:00
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