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◆会報第109号より-04 歴史散歩⑦

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シリーズ「私の歴史さんぽ」・・・⑦

吉井 勇

           岡村 松雄 (会員) 


 私の住まっております近くに 戦後の一時期を八幡に住んだ吉井勇の庵があります。◆会報第109号より-04 歴史散歩⑦_f0300125_09543757.png八幡月夜田の宝青庵(通称もみじ寺)に住んでおりました。
 (吉井勇自身の文中に) 宝青庵小景 
 「城南八幡の月夜田の里にある、この草庵に住みてより、早くも十月に近くなりぬ。浄土宗の小刹なれど足利の世の建築なりとぞ。」          
 この地での吟詠は歌集『残夢』に5百余首まとめられてある。吉井勇が歌を作るようなったのは、次のよう家庭環境によるものである。薩摩藩士で幕末に西郷隆盛らと国事に奔走した志士であり、伯爵であった祖父友実が歌を好んだこと。
 吉井勇は昭和20(1945)年10月「宝青庵」に移り住み、昭和23(1948)年8月には京都市に移っている。◆会報第109号より-04 歴史散歩⑦_f0300125_10362050.png 
 宝青庵には吉井勇生誕百周年記念会の手により昭和62年(1987)に建設された歌碑がある。

   ここに住みしかたみにせよと 地蔵佛 
   われにくれたり洛南の友


 吉井勇は「八幡音頭」を作詞しており、私の住まいの横に「男山吉井」と地名を残されており、バス停の名前は「吉井」となっている。
八幡に住まいおる間に松花堂で 谷崎潤一郎、志賀直哉、梅原龍三郎などと親交を深めていた。
 吉井勇が八幡を詠んだ歌の一部を紹介します。いずれも八幡の地への愛情と郷愁があふれる歌です。
   
   昭乗といへる隠者の住みし蘆 近くにあるをうれしみて寝る
                    (松花堂庭園に歌碑がある)
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   松花堂の好みの膳にむかひゐて 杯取ればもの思ひもなし

   松花堂のあるじが呉し納豆を 食みてわびしき冬ごもりかも

   松花堂の置きたる石と丈山の 置きたる石といづれ寂びたる

   松花堂好みの露地幾うねり 郁子の雨にも濡れにけるかも
                   (むべ 生垣用等の植物)
   しばらくは石の燈竜の八幡形 ながめてありきわれを忘れて

   八幡なる泉之坊につたはれる この襖絵の幽玄を見む

   女郎花塚のあたり雲雀鳴き 夕日のなかを雲水の来る

   女郎花塚の由来を妹にして あはれと言ひぬ夕食の後に

   蘆を刈るころ越路よりうつり来て すでに六月の月夜田の里

   山城の八幡の庄の月夜田の 里居わびしく妹のやせたる

   月夜田の里居寒けく我妹子の 厨やつれを盛ればわびしも

   竹林のこのしずけさのなかにゐて 何故にしづかにならぬ心ぞ

   裏山の竹さうさうと風に鳴り やがては野千鳴き出でむ夜か

   安居橋はおもしろき橋太鼓橋 人のわたればとどと鳴る橋

   霜しろき圚福寺道をかえりゆく 僧の痩肩寒げなるかな

   達磨忌もすでに過ぎたる竹日和 泥龍法師訪ふによろしも

   門辺見て妹言ふ雲水ひとり伴れ 泥龍和尚通りたまふと

   朝ごとに花を手向けて庭隅の 童女の墓をあわれがる妹

《参考資料》
1.吉井勇全歌集      中央公論新社 2016年1月刊
2.八幡の歴史を探究する会「会報22号」(2012年1月)
3.八幡の歴史を探究する会「会報46号」(2014年1月)



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by y-rekitan | 2022-05-23 09:00
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