(奈良再発見!⑦) 谷村 勉 (会員) (*前号、廿八日のつづきです) かくてつは市より泊瀬寺にまいりぬ。所のさま源氏物語にかけりさなからにてしばし花の陰に立よれは。誠に波ぢにむかふ心ちせしかは こきよせよ花のしら波海士(あま)小舟はつせの山のはるの夕風 本尊の御前に参る。折しも歌うたへる女二人法楽とおぼしくて歌うたへるあり。 その詞に花の都人歌よませ給へやといふを。うちきくよりまことに花のみやこ人は紛れなけれはと歌よみなん事はむねつふれていよいよ口をそとぢける。 しはらく念誦して本尊に向ひ奉れり。寺はいまた周備の姿もみえす造畢(ぞうひつ)せしめは閉帳あるへきをまのあたり拝見しけるも有難くなん。かくて八塩の岡二本の杉より川をわたり多武峯ある坊につきぬ。 『訳文』 こうして椿市(つばいち)から長谷寺に参詣した。所の様子は、『源氏物語』に描かれた通りであり、しばしの間花の木陰に立ち寄ると、誠に波路に向かう心地がして、 花の白浪にゆられる海士小舟(あまおぶね)を長谷の泊まりに 漕ぎ寄せるように吹け、泊瀬の山の春の夕風よ 本尊の前にお参りすると、ちょうどその時、歌を歌う二人の女が、法楽と思われる歌を歌っている。その詞に、「花の都人よ、歌をお詠みなさいませ」というのを耳にして、まことに自分は花の都人に紛れはないが、歌を詠むなどと思うと ぞっとして、ますます口を閉ざしたことだった。しばらくは念仏誦経しながら本尊に向い祈り申し上げた。寺はまだ再建完了の様子も見えない。完成すれば開帳となるだろうが、本尊を目前に拝み申し上げるのも尊いことである。このあと、八塩の岡を越え、二本の杉を経て泊瀬川を渡り、多武峰の一宿坊に到着した。 ◎泊瀬寺(長谷寺)・(桜井市初瀬731-1 ☏0744-47-7001) 徳道上人が聖武天皇の勅を受け、近江高島郡の、白蓮華谷に横たわっていた霊木から本尊十一面観音像を造立、天平五年(733)に開眼供養がおこなわれたと伝える。《なお、東大寺大佛開眼は天平十五年(743)》。 牡丹で代表される花の寺として世に知られる長谷寺であるが、全山桜が満開の頃の長谷寺こそ、もっとも王朝時代の雰囲気が再現されるといわれる。奈良時代の志賀直哉が「大変美しく思ったことがある。上から見たらいろいろな種類の山桜があって、赤味のさしたんだの、白いんだの、右近桜もあったナ、いろんなものがあって、非常にきれいだなと思ったナ」と絶賛している。紀貫之の歌碑が残るが当時の花は梅であった。今も寺内に貫之の梅が守り継がれている。他にも楓、南天、石楠花、紫陽花、百日紅など多種多様の花々が参詣者を楽しませてくれる。 王朝の昔から長谷寺観音の霊験あらたかさは出世開運を祈願する人々の願いをかなえた。平安時代の長谷寺詣の賑わいは『源氏物語』や『枕草子』『蜻蛉日記』『更級日記』に記されている。現在も遠く三方を山々に囲まれた長谷寺に参詣する人の姿は絶えない。『源氏物語』「玉鬘」の巻には、母夕顔の死も知らず、乳母に伴われて筑紫に下っていた玉鬘が、都に上ると、長谷寺観音参籠を思いたち、椿市(つばいち)(海石榴市)まで来て、宿にて今は源氏の君に仕えている母夕顔の侍女右近と偶然めぐり合い、ともに長谷寺に参詣するシーンが描かれている。 右近「ふたもとの杉のたちどを尋ねずば古かわのべに君を見ましや」 二本(ふたもと)の杉とは『古今集』の「初瀬川ふる川のべに二本ある杉、年を経て又も逢ひ見む二本ある杉」(巻十九雑体・読人不知)と詠まれたところ。「二本の杉の生えている所、すなわち初瀬にお参りしなかったら、どうして姫君に、お目にかかることができたでしょうか」の意。 玉鬘「初瀬川はやくのことは知らねどもけふの逢ふ瀬に身さえながれぬ」 私は以前のことは知りませんけれども、今日初瀬川のほとりであなたに逢えたので、嬉し涙に身までながれてしまいました」 玉鬘はやがて右近の引き合わせで源氏の君の庇護を受けることになり、父大臣(おとど)にも会う日がくる。なお、二本の杉は古い参道沿いにある。本堂正面の現在の登楼の東側の谷あいに今も残る。その先の下段には藤原定家の供養塔(五輪塔)がある。玉鬘は石清水八幡宮に参詣した後に長谷寺に詣でている。 『枕草子十四段』に「市はたつの市。つば市は、やまとにあまたあるなかに、長谷寺に詣づる人の、かならずそこにとどまりければ、観音のご縁あるにや、心ことなり」とあり、椿市にも海石榴市観音があって、長谷寺詣でする女人たちにとって、縁のある観音であり、特別な感じがある。仁王門をくぐり、すぐ登廊(のぼりろう)の石段に入ると、その緩やかな勾配の歩きやすさに気が付いた。下登廊、中登廊、上登廊合計399段の石段の高さは堂に近づく程高くなるように設計されている。 ようやく本堂に入れば、10mを優に超える本尊十一面観世音菩薩立像の黄金を纏った圧倒的な姿は公条一行が参詣した時と今も同じである。寺は十度余の大火にあっているが、天文五年(1536)、観音堂が本尊とともに焼失、本尊の再造立は天文七年に終わっているが、本堂の再建は慶安三年(1650)の落慶である。 鐘楼近くに芭蕉句碑がある。 “春の夜や 籠(こも)り人床(どゆか)し 堂のすみ” ◇番外 雄略天皇泊瀬朝倉宮推定地(白山神社) 桜井市の大神神社から長谷寺に向かう途中の初瀬街道(伊勢街道)に「泊瀬朝倉宮伝承地」がある。以下、「解説板」から引用すると、「泊瀬朝倉宮は、第二十一代雄略天皇の営んだ宮です。雄略天皇の代には、熊本県や埼玉県の古墳から獲加多支鹵(ワカタケル)大王と雄略天皇の名を彫った鉄剣・鉄刀が出土していることから、大和朝廷の勢力が全国に及んでいたとされています。また、中国にも朝貢の記録があり、『宋書』(西暦五百二年完成)に記されている倭の五王、讃・珍・済・興・武のうち、武は雄略天皇であるとされている。記紀に記されている三輪山の大物主大神や葛城の一言主大神にかかわる逸話や、万葉集の巻頭を飾る妻問いの歌には、国の礎を固めつつある雄略天皇の力強く自信にあふれた様子がうかがえます。」と記されていた。 伝承地の解説板のある桜井市黒崎にある白山神社内には萬葉集がこの地から始まったことを伝える「萬葉集發燿讃仰碑(はつようさんぎょうひ)」が建っている。桜井市出身の文芸評論家、保田與重郎が書いた記念碑です。記念碑のすぐわきには雄略天皇御製を刻んだ石碑が建っています。◎多武峰寺(談山神社)・(桜井市多武峰319 ☏ 0744-49-0001) 右の写真は談山神社のシンボル木造十三重塔と神廟拝所(旧講堂)で、藤原鎌足の長子・定慧和尚が創建した。木造十三重塔(高さ17m・檜皮葺)は父の供養のため白鳳七年(678)に建立、現存のものは享禄五年(1532)の再建したものである。もう一つの神廟拝所はやはり定慧和尚が白鳳八年(679)、父の供養のために創建した妙楽寺の講堂で、塔の正面に仏堂をつくる伽藍を持ち、内部壁面には羅漢と天女の像が描かれている。現存のものは寛文八年(1668)の再建である。 仏堂には藤原鎌足像や藤原不比等像が安置 され、談山神社に唯一残る仏像として如意輪観音像(鎌倉期)が所蔵されている。本尊であった阿弥陀三尊は明治時代の神仏分離によって安倍文珠院に移され、現在は釈迦三尊像(奈良市指定有形文化財)となっている。(如意輪観音像は通常は非公開だが、6月・7月のみ公開される。この日は撮影OKだった) 多武峰の山腹にある談山神社、談山とは「談(かたら)い山」ともいう。御祭神は藤原鎌足公(中臣・藤原氏の祖)。藤原鎌足とは飛鳥時代の政治家、中大兄皇子(天智天皇)の側近として仕え「大化の改新」を主導した。談山神社は古くは「妙楽寺」というお寺であったが、明治初年の「神仏分離令」によって談山神社と改名した。 大阪府高槻市の阿威山に埋葬されていた藤原鎌足の亡骸を白雉(はくち)29年(678)、唐から帰国した長男・定慧(じょうえ)が遺骨の一部を多武峰の山頂に葬った。そして山中の中腹に十三重塔と講堂が建てられ「妙楽寺」となり、大宝元年(701)に神殿が建てられ「藤原鎌足の御神像」をここに安置したことが談山神社の始まりとされ、神仏習合の神社として創建された。妙楽寺は幾たびの戦火によって焼失するも再建されて、現在、多くの堂塔が点在する。談山神社本殿の豪華な彩色や彫刻の造りは徳川家康の「日光東照宮」の造営の時にお手本にされたと云われる。 藤原鎌足が中大兄皇子と出会ったのは飛鳥法興寺(飛鳥寺)の蹴鞠であった。多武峰絵巻には沓を飛ばした皇子を笑う蘇我入鹿と、沓を皇子に捧げる鎌足の姿が描かれている。中大兄皇子と藤原鎌足の二人は多武峰に登り、これからのことについて話し合い、大化元年(645)「飛鳥板蓋宮」で二人は蘇我入鹿を討った。 空白 ![]() 主な参考文献 『吉野詣記』鶴崎裕雄他 翻刻・校注 (相愛女子短大研究論集三三) 『中世日記紀行集』新編日本古典文学全集 小学館 『枕草子』日本古典文学全集 小学館 『現代語訳・日本書紀』福永武彦 河出文庫 『大和百話』由良琢郎 武蔵野書院
by y-rekitan
| 2023-07-28 09:00
| 吉野詣記
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