善法律寺と正法寺の仏像 119号

《歴探ウォーク》
八幡の古寺巡礼
第11回:善法律寺と正法寺の仏像を訪ねる

谷村 勉 (会員)

 令和5年12月8日(金)、今回の古寺巡礼は二つの寺にある仏像を中心に訪ねた。八幡には歴史的な文化財が豊富に残っているが、多少の歴史的知識さえあれば、そこには素晴らしい文化財が存在することが判ってくる。近年若い女性も仏像に興味を持つ人が増えたと聞く。それに応えるように奈良や大阪、京都、東京の大都市で開催される仏像展には大勢の人々が美術館、博物館を訪れる。幸い我々の近辺には国宝や重要文化財を保持する社寺はあるが、いまだに隠れた文化財も随分とある。そこには普段の仏像を四季を通じて拝観することができる。先人が大事に残してくれた文化財は今こそ住民と語り合いたいと思って居るに違いない。
善法律寺から正法寺へ参る

善法律寺‥奈良唐招提寺の末で律宗。鎌倉時代正嘉(しょうか)年間(1257~59)に八幡宮法務寺院として八幡宮第27代検校善法寺宮清が自身の邸宅を僧房として喜捨し、奈良東大寺より実相上人(円照・東大寺戒壇院の院主、正嘉元年九月造東大寺大勧進に就任)を招いて開山した。爾来、ご本尊「八幡大菩薩」の霊場として今日に至る。宮清の孫娘・良子が、足利二代将軍「義詮(よしあきら)」に嫁いで三代将軍義滿を産んだ。その為、歴代足利将軍が何度も参詣している。「善法律寺しおり」一部加筆。

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実相上人こと円照とは鎌倉時代中期の律宗の僧で、東大寺戒壇院の中興開山となった人物。建長3年(1251)に東大寺戒壇院の院主に任じられ、正嘉元年(1257)には造東大寺大勧進に就任(『経俊卿記』)し、堂塔の復興に尽力する。円照は、三論・法相・天台・真言密教・禅など8宗を修学する。円照は、実相と号し、良忠(浄土宗)、禅慧(真言宗)、叡尊(真言律宗)などに師事して仏教教学を学んだ。

造東大寺大勧進職とは東大寺内の伽藍堂宇造営修理に当たる最高責任者で、初代の大勧進となった重源が有名。重源は保安二年(1121)紀季重の第四男として京都に生まれる。治承四年(1180)、平重衡の南都焼討により伽藍を焼失、大仏は溶け落ちた。東大寺再建の為、大勧進職についた重源は後白河法皇や九条兼実、鎌倉の源頼朝などに寄付を依頼し成功する。西行には奥羽への砂金勧進を依頼している。

善法律寺のご本尊八幡大菩薩像(平安時代)、もとは石清水八幡宮で祀られていた。大安寺の僧、行教が宇佐から八幡の地に勧請して祀った本尊とも伝える。八幡大菩薩とは八幡神に対して奉られた菩薩号。奈良時代に始る神仏習合から起った称号で,仏教に守られる八幡神の意。天応1年(781)宇佐八幡神を護国霊験威力神通大菩薩と称したのに始るとされる。明治の神仏分離により,石清水,宇佐などの八幡大菩薩の称号が廃せられた。

善法律寺の宝冠阿弥陀如来とは、きわめて貴重な阿弥陀如来像(南北朝時代)で、この像は、石清水八幡宮の頓宮にて祭られていたと伝える。脇侍としての十一面千手観音(鎌倉時代)は八幡宮東谷に建立した観音堂の本尊と伝える。もう一つの脇侍地蔵菩薩は左手に錫杖を持ち、右手は垂れ下げて袈裟をたぐり持つ。これもめずらしいお姿である。

宝冠阿弥陀如来‥(四種三昧と宝冠阿弥陀如来像)
 四種三昧とは『魔訶止観』に説かれる三昧を常座三昧、常行三昧、半行半座三昧、非行非座三昧の四種に分けた修行法の事。円仁が唐より伝えた四種三昧の内の常行三昧における本尊の宝冠阿弥陀如来は、円仁が請来した金剛界八十一尊大曼荼羅の蓮華部阿弥陀五尊に見られる阿弥陀如来で、信仰の対象ではなく、修行のための本尊である。高く髪を結い(宝髻(ほうけい))、宝冠を被り、袈裟は胸元まで隠すように通肩に着け、阿弥陀定印を結ぶ姿で、孔雀上の蓮台に結跏趺坐する。その周囲には孔雀上の蓮台に坐る金剛法、金剛利、金剛因、金剛語の四菩薩が囲む、密教(天台宗系)の五尊像であった。この作例は唯一、栃木県輪王寺常行堂に現存する。数多の如来は釈尊が出家され、落飾された姿が基本であり、納衣以外に装身具は一切身に着けないとされるから異形の像容といえる。

 宝冠阿弥陀如来の現存例として単体ではあるが埼玉県慈光寺の鎌倉時代初期の像や、広島県耕三寺の快慶作宝冠阿弥陀如来像や東京都深大寺本尊、京都泉涌寺山内の悲田院にも快慶作の像(客仏)が知られるなど、数件の宝冠阿弥陀如来像が伝えられるのみである。また比叡山常行堂のご本尊も宝冠阿弥陀如来(平安時代末期)で国の重要文化財に指定されている。善法律寺の宝冠阿弥陀如来が数少ない貴重で、珍しい阿弥陀如来像と伝える所以である。

正 法 寺‥鎌倉時代建久2年(1191)、天台宗の寺として開創される。鎌倉幕府御家人・高田蔵人忠国が本寺を開く。室町時代後期に浄土宗に改宗。
後奈良天皇の帰依を受け、天文5年(1546)に勅願寺となる。江戸時代、志水宗清の娘お亀(相応院)が、徳川家康の側室となり、後の尾張藩祖・義直の母となります。その後正法寺は相応院の菩提寺となり、近世を通して尾張藩の厚い庇護を受けてきました。現在の伽藍は、相応院の寄進によるもので、寛永6年(1629)頃に建立されたものです。
ご本尊「阿弥陀三尊像」。  「正法寺しおり」
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正法寺が隆盛を迎えたのは文明十八年(1486)頃就任の第10代聖誉上人が浄土宗に改宗し、その後、文亀三年(1503)に就任した第11代伝誉上人が後奈良天皇の帰依を受け、天文十年(1546)勅願寺になったことによる。
さて、正法寺本堂は相応院の発願により寛永七年(1630)の初め頃に竣工した(落慶供養文)。本堂が南向きに建っていることに最初、違和感を感じた、と云うのは阿弥陀如来の浄土は西の方角にあり、西に向かって手を合わせることになるはずです。話を伺うと、実は本堂の中は実際の方角とは関係なく、阿弥陀如来のおわします方角が西と考えることになっていて、本堂の向きとは関係なく、西に向かって手を合わせることになるという事でした。境内の鐘楼についても向きがあり、鐘を撞く撞木(しゅもく)は東側についていて、西に向かって撞くようになっている。
正法寺のご本尊は阿弥陀如来で観音菩薩、勢至菩薩を従えた三尊像です。藤原様式に則り全体を巧みに纏めた像とパンフに解説されていますが、藤原時代とは遣唐使廃止以後、藤原氏が摂関政治を行った平安時代中期・後期をさします。中尊の阿弥陀如来は平明で静的・絵画的な様式である。顔や肩は円やかで、大きく弧を描く眉や、眼は深い瞑想を示す半眼とされ、慈眼の眼差しをたたえている。所謂定朝(じょうちょう)様の作風である。定朝は日本民族の美意識、感性に添った和様を完成させており、日本人の手になる仏像造作の仏師として頂点を極め、仏師の祖と讃えられている。
脇侍の観音菩薩・勢至菩薩は「大和坐り」で、正座しているように見えるが実はつま先立っている珍しい姿である。大原三千院に鎮座する国宝、阿弥陀三尊像も脇侍の観音菩薩、勢至菩薩が「大和坐り」で、正法寺と同じです。
「宝雲殿」の木造阿弥陀如来坐像(重文)は石清水八幡宮の西谷にあった八角堂に安置されていたが、明治の神仏分離により山下に降ろされた。中品中生(ちゅうぼんちゅうしょう)の説法印を結んで坐す丈六の大仏です。鎌倉時代の作で、近年の研究から快慶作であろうと云われる。像高283㎝、桧材寄木造、彫眼、肉身部漆箔、衣部は彩色されている。二重円相光は代表的な光背で頭光と身光で構成する。なお、丈六とは一丈六尺の事で、一丈は3m、一尺は凡そ30㎝で立姿4m80㎝以上、座って2m40㎝以上が丈六仏です。

仏像の分類

仏像は大きく「如来」「菩薩」「明王」「天部」の四つに分類される。

1如来・仏像の最上位に位置する。基本形は釈迦が悟りを開いた後の出家した僧の姿。頭は螺髪で粗末な衲衣をまとうのみで装身具はつけない。これは煩悩から解放された姿を現わしいている。紀元前1世紀頃「一般の多くの人々を救おう」という大乗仏教が誕生し、釈迦如来だけではなく、数多くの如来が考え出された。如来とは真如から来た、の意味である。
釈迦如来…如来像の基本。教を開いた釈迦(ゴータマ・シダールタ)がモデル。
粗末な衣だけで、装飾品はつけない。お釈迦様が悟りを開いた姿。地球上でただ一人仏の悟りを開かれた人となる。現世に住む。日本最古の仏像は飛鳥寺釈迦如来坐像。法隆寺金堂の釈迦如来坐像とはいずれも飛鳥時代の仏像、飛鳥時代の仏像はお顔が長く、アルカイックスマイルと呼ばれる微かな笑みを浮かべているのが特徴。どちらも止利仏師作。
※阿弥陀如来…極楽浄土へ導く、十方諸仏の本尊。「南無阿弥陀仏」と唱えた人々を救う。臨終の際に極楽浄土から迎えに来る。
浄土教における最高仏。鎌倉時代以降に多くの民衆に広がる。
元興寺の阿弥陀如来像が必見。
薬師如来…病気や災害で苦しむ人々を救う.医薬にかかわる如来、病気を平癒して心身の健康を守る仏。手に薬壺(やっこ)を持っている。
薬師寺と新薬師寺のご本尊がが有名、但し薬師寺は奈良時代以前の寺であり薬壺を持たず、お顔も面長で、平安時代の新薬師寺の如来は薬壺を持ち、お顔も丸い。
大日如来…密教における絶対的存在。密教における最高の仏で、「大いなる日輪」という意味です。太陽を意味し、宇宙の中心から守り続けるとされる。ここは廬舎那仏と似ているが、違いは如来だが螺髪ではなく、髪を結い上げ、豪華な装飾品や宝冠で飾られる。
奈良円成寺の運慶最初期の大日如来像が有名。
毘盧遮那如来…廬舎那仏は太陽を意味し、宇宙の中心から守り続ける。華厳経における最高仏。華厳宗のお寺である東大寺の奈良大仏がそれにあたる。真実の教えそのものを仏の姿として表現した法身仏、釈迦如来は毘盧遮那如来の化身とされる。また、唐招提寺の廬舎那仏は後背の化仏が特徴で862体ある。
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2菩薩・悟りを目指す修行中の姿自らの悟りを求めるのと同時に多くの人々を救うために修行し、如来に成ることを約束された者である。如来とは違って宝飾品を沢山つけている。美しく、優しいお顔、女性的な姿で人々を引きつける。
観音菩薩の種類
観音菩薩は「苦難を受けた人々が一心にその名を唱えれば、直ちにその音を感じて解脱させる」と『法華経』に記されている。日本では十一面観音、千手観音など三十三の姿に変化する観音像がつくられるようになった。
聖観音‥人々の願いに応じて姿を変える観音菩薩の基本の形。化仏と呼ばれる小さな阿弥陀如来像を宝冠や額につけ、瓔珞などの装飾品を身に着け、蓮華や水瓶をもつ場合が多い。法隆寺の救世(ぐぜ)観音などは聖観音菩薩。
十一面観音‥頭上に十一面あり、あらゆる方向を見て人々を救う。基本は正面に化仏(阿弥陀如来)、頭頂に仏面、前に菩薩面(慈悲の表情)が三面、向かって右に憤怒面(怒りの表情)が三面、左に狗牙上出面(くがじょうしゅつめん)(白い歯を見せ微笑む)が三面、後頭部に大笑面(悪行を笑い飛ばす)が一面である。本面(正面の顔)を入れて数える場合と本面を入れずに十一面を刻む場合とがある。
※千手観音‥千の手を持ち無限の方法によって人々を救う。千本の掌に一つづつの眼をもち、頭上には十一面(二十七面)、額には縦に一眼をもち、余すところなく無限の世界の人々を見守る。 三十三間堂の千手観音
如意輪観音‥如意宝珠と法輪を使って、あらゆる人々を救う。如意宝珠は「思うがままに無限に願いをかなえるもの」、法輪は「煩悩を砕くもの」である。財も知恵も思いのまま叶えられるという密教秘法の本尊。
観音以外の菩薩、独尊とはならない菩薩
普賢菩薩、薬王菩薩、薬上菩薩、日光菩薩、月光菩薩、勢至菩薩は独尊とはならない脇役である。独尊とは単体で祀られたり、ご本尊となる事。大きな寺では仏像を三対置いて、三尊形式で祀られることが多い。
弥勒菩薩‥釈迦如来が死去してから56億7000万年後に如来になり人々を救う。人々を救う方法を思考する半跏思唯の菩薩形が多い。
※地蔵菩薩‥地獄など、あらゆる世界を巡って苦しむ人々を救う。釈迦如来が死去してから五十六億七千万年後に弥勒如来が現れるまでの間、六道(天道・人道・畜生道・餓鬼道・修羅道・地獄道)の世界を巡って苦しむ人々を導くのが地蔵菩薩である。多くは左手に宝珠を、右手に錫杖をもつが与願印を結ぶ場合もある。
※八幡大菩薩‥八幡神に対して奉られた菩薩号。奈良時代に始る神仏習合から起った称号で,仏教に守られる八幡神の意。明治の神仏分離により,石清水,宇佐などの八幡大菩薩の称号を廃す。
文殊菩薩‥優れた知恵によって人々を悟りに導く。普賢菩薩と共に釈迦如来の脇侍として釈迦三尊像としてまつられる。獅子に乗るのが最大の特徴、右手に知恵を象徴し煩悩を断ち切る剣をもつ。左手には悟りを象徴する蓮華をもち、蓮華の上に経巻をのせる場合がある。
普賢菩薩‥白象に乗る女性の守護菩薩、文殊菩薩とともに釈迦如来の脇侍である。「知」の文殊に対して、「行(実践)」の普賢であり、あらゆる世界に現れて人々を救う。

3明王(みょうおう)・明王像の特徴―憤怒の表情で悪を打ち砕く。明王は密教特有の尊像で、密教伝来以後に造像されるようになった。明王は如来の化身で、反仏教的な人々を強制的に従わせる為に恐ろしい憤怒の表情を浮かべた姿で表現される。
明王の種類
基本となるのは「五大明王」で明王の種類には、五大明王(不動明王、降三世(こうさんせ)明王、大威徳(だいいとく)明王、金剛夜叉明王、軍荼利(ぐんだり)明王) 愛染明王、孔雀明王、烏瑟沙摩(うすさま)明王、大元帥明王、馬頭明王(馬頭観音)の他、五大明王に無能勝(むのうしょう)・大輪(だいりん)・歩擲(ぶちゃく)などの三明王を加えた八大明王がある。菩薩と同じ華麗な装飾をまとい、恐ろしい憤怒の形相で武器を手にとり火焔に包まれ、固い岩座や瑟瑟座(しつしつざ)などの台座に乗る。
※不動明王‥明王の中心的存在、大日如来の化身。密教の最高尊格である。仏教を信じない人々を導くために大日如来そのものが姿を変えたもの(化身)とされる。不動明王は脇侍として、怒りの表情を浮かべ、悪を打ち砕く金剛棒をもつ制吒迦(せいたか)童子と仏教に従順であることを示し、優しい表情で蓮華をもつ矜伽羅(こんがら)童子を従える。(神応寺不動堂の等身大の2童子は必見)
降三世(ごうざんぜ)明王‥大自在天(シブァ神)と、その妻の烏摩妃(うまひ)を踏みつけている。大自在天は密教の最高尊格の大日如来に従わずに、三世界(すべての世界)の主であると自称した。憤怒面三つの顔をもち、弓や宝剣を握る。
大威徳(だいいとく)明王‥水牛にまたがり、火焔に包まれ、三叉戟(さんさげき)、剣、宝棒、弓などの武器を手にするのが基本。六面の顔、六本の腕、六本の足をもつ六面六臂六足である。水牛と関連して農業神としても信仰される。
金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王‥金剛夜叉王が持つ武器は悪を払い、煩悩を打ち砕く。金剛杵(こんごうしょ)は雷を操ることができ、法輪(輪宝)は投げて敵を切断する車輪型の武器。
軍荼利(ぐんだり)明王‥首や手足に蛇を巻きつけ、煩悩を打ち砕く。五大明王は平安時代初期に空海によって唐から伝えられた。
その他の明王
※愛染明王‥愛欲を悟りへと浄化させるのが愛染明王である。身色は愛欲の強さを表す赤色で、一面三眼六臂である。頭上に獅子の顔の付いた獅子冠をかぶり、獅子冠の上には五鈷鉤(ごここう)をのせる。六本の手には、愛欲を断ち切るための弓と矢のほかに、金剛杵や金剛鈴などを持つ。
孔雀明王‥諸毒を除く慈悲の明王。毒蛇を食べる孔雀を神格化した明王でありながら、憤怒ではなく、慈悲深い菩薩として表現され、孔雀に乗る。
烏瑟沙摩(うすさま)明王‥トイレの汚れを炎の力によって焼き尽くし、不浄を清浄に変え、清める守護神である。片足で立つ像が多い。
大元帥明王‥四天王や二十八部衆などを従えて、敵から国家を護る「必勝祈願」の明王。

4天部・天部像の特徴、仏教に取り入れられた異教の神々で「天」はサンスクリット語で、神という意味である。仏教(如来・菩薩)を守護する神となる。また、「天」には「神が住む場所」という意味もあり、六道(天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)のうち天道に住む。天部は200種類以上あるともいわれ、仏教の守護神のほかに、現世利益をもたらす神もいる。大きく貴顕天部と、武装した武装天部に分けられる。
天部像の分類(神様を仏像として形にしたもの)
①貴顕天部‥温和な貴人として表現される。男紳形、女神形に分かれる。男紳形‥梵天、帝釈天。 女神形‥吉祥天、鬼子母神。
②武装天部‥毘沙門天、持国天、金剛力士、阿修羅梵天・帝釈天‥天部の中で最高位、仏像としては如来や菩薩の脇侍とされる。梵天はバラモン教の最高神ブラフマンで、宇宙の創造神である。釈迦如来に仏教を広めることをすすめたとされる。貴族が着用する礼服をまとう。
帝釈天は、古代インドの最強の神インドラ、因陀羅(いんだら)とも呼ばれる。金剛杵を手にして、毒龍と戦い、雨水を注いで大地を潤す。武神であるため、礼服の下に甲冑を身につけている。
毘沙門天‥多聞天の別名で、福徳と戦闘の神。四天王の一つで、仏教世界の北方を守護する多聞天の別名である。四天王ではなく、独尊としてまつる場合、毘沙門天と呼ばれる。日本では七福神の一つとなっている。
四天王‥宇宙の中央にそびえる須弥山の山頂に住む帝釈天に仕え、須弥山中腹の四天王宮に住み、四方(東西南北)を守護する天部である。甲冑を身につけ、武器をもち、憤怒の表情で邪鬼を踏みつける。
多聞天(毘沙門天)とは「仏の説法を多く聞いた者、広く名の聞こえた者」という意味。北方を守護する。宝塔と宝棒を持つ。
増長天は「生長せる者」という意味。増長・増大させる力をもち、南方を守護し、仏敵を打ち砕く三叉戟をもつ。
広目天は「通常でない眼をもつ者」という意味。あらゆるものを見通す知恵をもって西方を守護する。右手に筆、左手に巻物をもつ。
持国天は「国土を支える者」という意味。国家安泰を司り、東方を守護する。右手に宝剣をもつ。(東大寺戒壇院・興福寺の四天王は国宝)
金剛力士‥本来は一体の神で、一体で堂内にまつる場合は執金剛(しゅこんごう)神と呼ぶが、殆どは寺院の大門などに二体一対で安置される。これを仁王と呼ぶ。「阿吽」は万物の最初から最後までを示す。 東大寺南大門
十二神将‥甲冑をまとい、薬師如来を守る役目を持つ。平安時代以降は十二支の獣を頭上につけるようになる。新薬師寺の伐折羅大将(ばさらたいしょう)像が有名。
八部衆…八部衆は、古代インドの鬼神であったが、釈迦如来から教えを受けて眷属(けんぞく)(従者)となり、仏教を守る守護神となった。「阿修羅」は古代インドの戦闘神であるが、釈迦に教化された。興福寺では穏やかな姿に。
二十八部衆‥千手観音の眷属(従者)で、観音の名や『陀羅尼経』を唱える者を守護する二十八の神である。京都三十三間堂の二十八部衆は必見。
吉祥天…五穀豊穣をもたらす美しき女神、元はヒンドゥー教の女神ラクシュミーで、毘沙門天の妃となった。(浄瑠璃寺(秘仏))
弁財天…古代インドの河と豊穣の神で、後に言語、学問、音楽の女神となった。琵琶をもつ、弁財天は財福神とされ七福神の一尊。梵天の妃である。
鬼子母神‥他人の子をさらって喰っていたが、釈迦如来が鬼子母神の末子・嬪伽羅を隠して教え諭したところ、仏教に帰依し、子育ての守護神に。
他の天部‥200種類以上あるといわれる天部は多種多様で、多彩である。
摩利支天像…カゲロウを神格化、日本では中世以降武家の守護神に。
初江(しょこう)王坐像…死者の生前の行為を裁く十王の一人。閻魔王が有名。
大黒天像…古代インドの戦闘神、仏教に取り入れられた後、日本神話の大国主神と同一視されて福の神となった。
以上空白

主な参考資料
:新版写真・図解日本の仏像 薬師寺君子 (株)西東社
:仏師から見た日本仏像史 江里康慧(えりこうけい) ミネルヴァ書房
:鎌倉中期の東大寺大勧進に関する基礎的考察 小原嘉記 京都女子大学
:日本名僧論集第五巻 重源 叡尊 忍性 今井雅晴他編 吉川弘文館



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by y-rekitan | 2024-01-27 13:00 | 歴史ウォーク
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