吉井勇と小杉放庵② 119号


心に引き継ぐ風景・・・㊿

吉井勇と小杉放庵(画家)

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 「吉井さんに旅の歌多く、酒の歌も少なくありませんな」で始まる小杉放庵の回想は吉井勇の人柄を余すところなく伝えている。「酒の上もよろしかった、陶然たる酔いを保って、昂奮せず愚痴を言わずいつもゆったりと落ち着いて、相手になる方も平らかに盃をつづけた」 晩年、孝子夫人によれば「お座敷で形を壊すことはないが帰宅後に酔いが廻るので、その看護に骨が折れる」との事だった。
 昔、芭蕉翁は飄々として旅に出ましたな、その如く吉井さんも飄々と旅人になる。芭蕉の先輩西行は只一人独行の雲水僧、吉井さんの旅の心は西行に近かったと思う事です。さて「江見水陰翁」は名高い文人であったが、四国に来て、面河渓(愛媛石鎚山)の山水を探るうちに病気になり、松山市の病院(日赤酒井黙禅が診るか?)に入る。知らせを受けた吉井さんは伊野部樊噲(はんかい)等と連夜の酒であったが、若い頃は師とも頼んだ人、捨ておけずと盃を投じて立上り松山に急ぎます。
ぬばたまの夜空の下を急ぐなり七阪八坂飛びも越ゆべう  勇

 病院に着くのが朝の八時、水陰翁は命の瀬戸際、「誰から聞いてきた」「高知からか」のたった二言が名残りで、私は、いずれは同じ身の上だと思うと、芭蕉の「野ざらし」という言葉が思い出されて、と記してあります。京の寺(石峰寺・伏見区深草)に石の羅漢がどっさりあって、その内の一体が放庵に似ていると歌にされた。其羅漢達の中から吉井さんに似たのを見付てやろうと思って居たのだが。
(文と写真 谷村 勉)空白


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by y-rekitan | 2024-01-27 14:00 | 心に引き継ぐ風景
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