地蔵尊の開眼式 119号


地蔵尊の開眼式かいげんしき

-八幡森の地蔵尊が復元製作されました-

高田 昌史(会員)


はじめに

 八幡森の夜泣き地蔵として親しまれている石仏(高さ1.5m)が2023年2月の交通事故により甚大な被害によって修復不可能になり、被害を受けられた石仏は、三重県熊野市「経王寺」に永代供養されたと伺った。この石仏は男山考古録に紹介されており、明治維新の廃仏毀釈等の受難に遭いながらも地元の人々に守られ現在の地蔵堂に移された由緒ある石仏でした。

森『地蔵尊』の開眼式

 このたび森町内会により新たに地蔵尊像が復元製作され、2023年11月18日(土)の13時から森町地蔵堂にて『地蔵尊』開眼式(かいげんしき)が浄土宗正福寺の秦住職により執り行われ、40名近い方が参列された。地蔵尊の開眼式 119号_f0300125_19534938.jpg 地蔵尊は地蔵菩薩立像でなく阿弥陀如来立像で高さ約150㎝あり、頭には如来特有の肉髻(にっけい)があり、両手は來迎印(上品下生)です。復元製作された石仏の石材は香川県の庵治石(あじいし)である。
 なお、被害を被った地蔵尊は、正福寺の秦住職により閉眼式(へいげんしき)をされてから三重県熊野市「経王寺」に永代供養されていると伺いました。この地蔵尊は江戸時代の嘉永元年(1848)に纏められた男山考古録の「石仏」の項に(オホゞトケ)と紹介されており、明治維新の廃仏毀釈やその後の地蔵取徐令等から地元の人が、お守りしてきた石仏でした。
 詳細は、八幡の歴史を探究する会会報第54号(2014.9)掲載記事「八幡森の石仏(オボトケさん)と地蔵盆」を参照。
     https://yrekitan.exblog.jp/23049265/⇒
      
復元「地蔵尊」について

(1)新旧地蔵尊
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 新旧の地蔵尊の写真を並べて比較したが、見事に復元されています。江戸時代に製作され長年地元の方が守り大事にされていた地蔵尊が事故に遭って代替わりとなり大変残念ですが、復元された地蔵尊は、八幡森の地蔵堂で後世まで大事にされて守られて行くことと思います。

(2)事故に遭われ地蔵尊
 2023年2月の地蔵堂に事故で車が突っ込み石仏(地蔵尊)を破損した状況を調査した株式会社保安企画の京都支店から事故現場を撮影した一部の写真の提供を受けた。
 下図に事故写真を纏めたが、確かに石仏の本体と首部が分離した非常に大きな損傷であり、修復不可能な大変残念な事故であったことが判る。
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八幡森の地蔵堂

 地蔵尊は男山考古録巻第十三の「石仏」の項で場所は、“薬薗寺前の道を園町へ至る道より10間許東へ入る田の中に、四尺許の石仏立り、土人只オホヾトケと云フ”、とあり、明治維新の廃仏毀釈の受難にあいながら現在の地蔵堂に移されて地元の方に守られてきた。
地蔵尊の開眼式 119号_f0300125_20535000.jpg 「八幡森の地蔵堂」は、石清水八幡宮の門前町として栄えた八幡森の集落の中央部道端の生垣に囲まれている。地蔵堂には多くの石仏も祀られており、地蔵堂の奥の御堂には2体の地蔵菩薩がそれぞれの厨子中に安置されている。
 甚大な被害となった交通事故は事故車が地蔵堂の西側の生垣を破って突っ込み歴史ある貴重な高さ約1.5mの石仏(地蔵尊)をなぎ倒した。

おわりに

 約300年前の江戸時代中期に建立されたと推定される「地蔵尊」は事故に遭い修復不可能になり、地蔵尊の開眼式 119号_f0300125_21003322.jpg新たに復元製作された地蔵尊の開眼式に参列することが出来た。
 この度の森『地蔵尊』の開眼式参列にお世話になった森町内会の金谷会長、事故時の撮影写真を提供していただいた株式会社保安企画の御担当の方に御礼を申し上げます。
 また、正福寺秦住職には浄土宗による開眼式についてご教授いただいた。
 復元地蔵尊は今回のような被害を受けることなく、少子化の影響はあるが毎年8月に地蔵盆をされて地域をつなぐ文化として引き継がれていくことと思います。
開眼式後に地蔵尊には(子供の健やかな成長)を願っての数枚の「赤いよだれかけ」が奉納されていた。

【参考資料等】
※1)男山考古録(石清水八幡宮史料叢書1)
※2)八幡の歴史を探究する会会報第54号(2014.9)「八幡森の石仏と地蔵盆」
※3)山上山下のまち、八幡(堀内明博他)
※4)三重県熊野市「経王寺」のHP-お棹石(佛石)の永代供養

by y-rekitan | 2024-01-27 09:00
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