行教と石清水八幡宮創祀 127号




心に引き継ぐ風景・・・(58

行教と石清水八幡宮創祀
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神応寺・行教墓石 (H26.07.05筆者撮影)

 大安寺の僧、行教は、父が山城守紀魚弼(うおただ)で、兄が紀夏井、弟は本覚大師益信(やくしん)(東寺長者)であることから、益信同様、行教は備後国品冶(ほんじ)郡宮内(現広島県福山市新市町)の正仁谷で生まれたとされるが、出家前のことは詳しく分らない。

 大安寺で行教は、最澄の師・行表の下で仏道を学び、唐へも留学したとされる。大安寺は聖徳太子が創建した大寺院で、南都七大寺に数えられ、僧侶の養成と仏教研究の場として、東大寺大佛開眼の立役者インドの菩提僊那や空海、最澄などが在籍していた。

 行教は貞観元年(859)に宇佐宮から山城国男山に八幡神を勧請し、石清水八幡宮を創建したことで知られる。京都の南西、男山の東中腹に湧き出る石清水が神社名の由来と伝わる。『男山考古録』に「御山(男山)に往古より奇異の霊泉ありて、早くより地名にも呼び・・・」とあり、石清水と呼ばれる地名の存在は、八幡宮遷座以前から知られていた。

 男山には元々石清水寺という寺があり、八幡神勧請後に寺を改築し、名を護国寺と改めた。別当には安宗(あんしゅう)(紀夏井の子)が、検校には弟の益信がついた。貞観十八年(876)になって、宇佐宮に準じて紀御豊(みとよ)(安宗の弟)が勅により初めての神主となるが、東大寺への八幡移坐とは異なり、宇佐宮の神官層は石清水への移坐には関与せず、僧侶が主体となった。

これにより、石清水八幡宮は僧集団支配体制の宮寺という形式を築き上げた。

(文と写真 谷村 勉)空白


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by y-rekitan | 2025-05-30 22:00 | 心に引き継ぐ風景
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