四方山草紙 ~研究の背景より綴る片隅の記~ 「八幡市にお住まいの皆様なら日々親しまれる八幡宮でありますが、実は様々な起源説があることをご存知でしょうか。その御神格については古来より様々な見解が示されており、地元でも意外に知られていない諸説が数多く存在しております」 八幡神ほど不思議な神様も珍しいものです。これほど身近な存在でありながら、『古事記』『日本書紀』には全く登場いたしません。それが『続日本紀』天平九年(737年)四月条に突然「筑紫の八幡」として現れるのですから、まさに忽然と歴史の舞台に登場したと言えるでしょう。 この謎めいた神様の正体について、時代を追って様々な説が唱えられております。 まず応神天皇習合説ですが、これは奈良時代から平安時代にかけて確立されたもので、『東大寺要録』や『住吉大社神代記』に八幡神を応神天皇とする記述が登場いたします。面白いのは、天平勝宝元年(749年)の宣命に「広幡乃八幡(ヤハタ)大神」とあり、当初は「ヤハタ」と訓読されていたのが、神仏習合により「ハチマン」という音読に変化したことです。 次に聖武天皇霊魂結合説は平安時代初期の政治的混乱と密接に関わります。宝亀八年五月十九日(777年)、聖武天皇の葬儀から二十九周年にあたる日に八幡神が「出家」し、天応元年(781年)に「八幡大菩薩」の号が贈られました。これは聖武天皇の血統が絶えた後の天災を、聖武天皇の祟りと恐れた朝廷が、八幡神と習合させることで鎮めようとした結果と考えられております。 一方、現代の研究では新たな視点から諸説が提起されております。外来神説は八幡神がもともと渡来系の神であったとする説で、豊前の土俗的信仰と新羅系の信仰が統合されて八幡神信仰の初期形態が整ったとされます。また母子神信仰遺存説は現代の民俗学的視点から、神功皇后と応神天皇の母子神信仰が八幡信仰の原型であったとする説です。さらに政治的抗争巻き込まれ説では、八世紀前半の隼人の乱や藤原広嗣の乱の鎮圧に活躍した勢力が背景にあり、当時の仏教政策を巡る朝廷内の対立に八幡神が巻き込まれたとする見方があります。 さらに興味深いことに、現代ではユダヤ系説や中国系説といった国際的な視点からの説も登場しております。ユダヤ系説では「ヤハタ」がヘブライ語でユダ族を意味する「ヤフダ」に由来するとし、秦氏がユダヤ系渡来人であったとする見方です。一方、『八幡宇佐宮御託宣集』には「古吾は震旦国の霊神なり。今は日域鎮守の大神なり」という八幡神自身の託宣が記されており、中国系の神であったことを示唆する記述もあります。 このように八幡神の起源については、古代からの習合説と現代の学術的推論が入り混じり、さらには国際的な視点まで加わって、まさに日本宗教史の複雑さを物語っております。記紀に登場しない謎の神様が、なぜこれほどまでに全国に広がったのか。その答えは、これらの諸説が示すように、時代とともに変化し続けた八幡神の多面性にあるのかもしれません。 本日の四方山草紙は、これにて巻を閉じさせていただきます。 片隅生 記 ![]()
by y-rekitan
| 2025-07-29 23:00
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