伏見宿の芭蕉を歩く 129号




心に引き継ぐ風景・・・(60

東海道54次、伏見宿の芭蕉を歩く

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旧尾張藩伏見屋敷門前の江戸時代の道標

 伏見宿の中を走る旧東海道に「京・大津(みち)」と書かれた江戸時代の道標があった。広大な旧尾張藩屋敷跡の門前に建つ。現在は伏見板橋小学校正門となる。道標東面は「左り ふねのり(口)」とあり、伏見港を案内している。

 元禄七年(1694)十月十二日、大坂南御堂前『花屋貸座敷』で客死した芭蕉(五十一歳)の亡骸は遺言通り、大津の義仲寺に向かう。翌朝、伏見京橋で舟を降りた其角等門弟十人は、芭蕉の長櫃と共に大津迄、20㎞の道程を急いだ。

 伏見宿の道筋の記録はないが、整備された東海道を通ったとみるのが順当だろう。東海道分間延絵図通りに歩くと、京橋から下油掛町を駿河屋、油掛地蔵を左に見て次の中油掛町角を左に伯耆町へ入り、大手筋京都銀行横を一直線に北上、やがて鷹匠町の金札宮、大黒寺を抜けると正面に大きな道標(写真)が見える。

 右に道をとって一つ目角を左に曲がり、下板橋町を北へ向かい指物町から右に石屋町へ、そこから両替町・鑓屋町・京阪墨染駅・大亀谷へと向かう。藤森社分れ道までは約4㎞、1時間の道のりである。

 下油掛町西岸寺(油掛地蔵)では貞享二年(1685)二月、芭蕉(四十二歳)が任口上人を尋ねた際「我衣にふしみの桃の雫せよ」の『野ざらし紀行碑』が残る。 

 途中、鷹匠町の金札宮に対面する民家の庭に、風に揺らぐ大きな芭蕉の葉に気付いた時、門弟達と共に歩いた「芭蕉最後の旅路」の風景を見た。

(文と写真 谷村 勉)空白


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by y-rekitan | 2025-10-10 18:00 | 心に引き継ぐ風景
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